こんなの一回死んでみないと書けないはずなのに、どうしてこんな文章を書けたのだろう。イタコとの共作? なーんてことを思うほど、「死ぬ間際までの意識の実況」が細かくて驚きました。
この小説の主人公は45歳で亡くなります。
自分の幸福への視点を見つけられないまま人生が終わってしまうかもしれない。このことに、残りの3ヶ月の間に気づきます。その光が大きくなったり小さくなったりするのを感じながら、身体の痛みに向き合っています。
自然心理と社会心理
わたしはこの二つの間に「信仰」というものがあると考えています。読んだのはまだ三作品だけですが、この境界を小説の形で描いていくのがトルストイで、読むたびに生きることについての再確認を促されます。
主人公は真面目でけちくさい、ミーハーな人。
格差のシステムの中では公的な仕事につく身分に生まれ、召使いを使う側にいます。中央裁判所の判事を務めながら、こんな価値観を持っています。
勤務上の喜びは自尊心の喜びであり、社交上の喜びは虚栄心の喜びであった。しかし、イワン・イリッチの本当の喜びは、カード遊びの喜びであった。彼はよくこう告白した、たとえどんな事にもせよ、自分の生活上おもしろくないことが起こった後で、暗夜の燭(ともしび)のごとくに輝く喜びを与えるものは、ほかでもない、上手なしかも騒々しくない相手とカード・テーブルに向かって、四人で(五人ではどうもおそろしくやりにくい、もっとも、わたしはこれが大好きだ、などと体裁をつくろってはいるものの)機智に富んだ真面目な勝負を闘わし(但しこれはいい札が起きる時の話である)、その後で夜食をしながら、ワインを一杯かたむけることであった。勝負の後で、ことに少しばかり勝った時(勝ちが大きすぎると不愉快だ)、イワン・イリッチは格別いい心持で床につくのであった。
(三 より)
自尊心と虚栄心をそれぞれ仕事と社交で満たしつつ、それでは足りないものをどうやって補っていたかをトルストイは序盤でしっかり描きます。エゴが満たされる瞬間の条件付けを執拗にリストアップしています。
幼い頃からの ”傾向” も事前にしっかり記述されます。
法律学校時代の彼は、その後卒業してからも死ぬるまでの彼と、少しも変わりがなかった。つまり才能に富んでいるとともに、快活で人がよく、おまけに社交的な人間であったが、しかし、己れの義務と信ずるところは、厳格に実行していた。彼が最高の義務と信じていたのは、とりもなおさず、最高の地位を占めている人々の所信なのであった。彼は子供の時にも、またその後、成人してからも、決して人の鼻息を窺うようなことはしなかったが、しかし、ごく若い時分から、あたかも蝿が光を慕うように、世に最高の地位を占めている人々のほうへ、引き寄せられてゆく傾向をもっていた。そして、彼らの態度や物の見方を習得して、彼らと親しい関係を結ぶのであった。少年時代、青年時代の熱情は、これという痕も残さずに過ぎてしまった。彼は情欲にも虚栄にも没頭した。あげくのはてに学校の上級時代には、自由思想にもかぶれた。がそれでも、正確な感情のさし示す一定の範囲を超えなかった。
(二 より)
権威のある人間をその都度信仰の対象とし、忠誠先を選んで世渡りをしていく。こういう唯物論的な思想をもった人が、病に向き合うとどうなるか。
この小説は、ねっちりと容赦ない視点で記述された人物描写の後で展開する、病に倒れてからの心の動きがいちいち緻密です。物語は本人のお葬式の話から始まります。
それが終盤あたりから、こんな展開になります。
精神面での変化の描写をネタバレしないように要約すると、こんな感じです。
「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」というけれど、もしや自分は善人側ではなく悪人側であったかと、そこへ意識を向けてからの逡巡がたまらない。
でたーーー! トルストイ節!!!
終盤は読むのを止められないのですが、読みながらずっと「いまわたしは、ものすごい表現と接触している」という感覚が強くあって、何度か時間をおいて付箋を貼った箇所を読み直しました。
"反省" は他人に見せるものではない。
他人に見せるそれは、プレゼンテーション。
"反省" する時間は、取り残されたような気持ちになる孤独な闘いの時間。
反省のなかにある葛藤や逡巡を言葉にすることはできない。エゴはそれに耐えられない。だけど、きっかけを与えてくれる人間がいれば反省に至ることはできる。
その描き方が、まあいやらしいこと!(←絶賛してます)
反省までで終わったとして、もちろんそれでは満たされないかもしれない。だけど「反省」は豊かなもの。自尊心や虚栄心を満たす気持ちのよさと豊かさはイコールではない。
今までに考えたことのないような心の境地まで連れていかれました。
余談1:時代感
この物語の中で、ミーハーで意識高い系の人たちが、サラ・ベルナールのお芝居を見たかという話をする場面がありました。ここで時代の感覚がぐっと身近に感じられました。
中村天風さんが若い頃にサラ・ベルナールの家に居候をしていたと伝記で読んだことがあり、気になって年代を並べてみたのですが、トルストイも中村天風さんも長生きされています。
余談2:個人の名前がとにかく長い!
この物語は、ずっと妻がフルネームで記載されているように見えるのですが、実際はこれでも苗字を抜いたものであることに、自分で登場人物をリストしてみることで気がつきました。
とにかく人名がたくさん出てくるのですが、この小説は以下の★の人だけ認識できれば大丈夫です。
<ゴロヴィン家の人、家の中の人>
- イワン・イリッチ・ゴロヴィン(主人公)★
- プラスコーヴィヤ・フョードロヴナ・ゴロヴィナ(妻:旧姓ミヘーリ)★
- リーザンカ(娘。リーザと略される)★
- ワーシャ(息子)★
- エレン(? 家の中の何らかの人、あるいは親戚。妻の妹か?)
- ソコロフ(給仕)
- ヴォロージャ(? 家の中の何らかの人)
- ゲラーシム(下男)★
- ピョートル(下男)
- イリヤー・エフィーモヴィッチ・ゴロヴィン(主人公の父)
- フョードル・ペトローヴィッチ(誰かの婿)
<同僚や医師、社交仲間>
- イワン・エゴーロヴィッチ・シェベック(同僚)
- フョードル・ワシーリエヴィッチ(親しかった同僚)
- ピョートル・イワーノヴィッチ(親しかった同僚)★
- シュワルツ(ピョートル・イワーノヴィッチの同僚)
- イワン・セミョーノヴィッチ(同じ職種の人)
- ピョートル・ペトローヴィッチ(同じ職種の新人)
- ザハール・イワーノヴィッチ(同僚かつ親友)
- ミハイル・ミハイロヴィッチ(同僚)
- トルフォーノヴァ公爵夫人(選り抜き人脈の交友サークルの人)
- ドミートリイ・イワーノヴィッチ・ペトリーシチェフ(交友サークルの人で、ペトリーシチェフ父子の父の名前)
- ペトリーシチェフ(上記の人の息子。娘リーザンカの婿となる予審判事)
- エコラーエフ(医師)
- レシチェチーツキイ(医師)
- ミハイル・ダニーロヴィッチ(医師)