うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

戦うことを是とする様式美の刷り込みが自分のなかにあった(島崎藤村「破戒」読書会での対話から)

先日、島崎藤村の『破戒』を題材に、ヨガの練習で知り合った方々と読書会を行いました。
今回は課題図書選定の理由を当日冒頭でインドの歴史の話とともに話しました。今回は長らく温めてきた ”無意識レベルで体に染み付いた差別感情” が主題でした。


インドのカースト制度とアウトカースト(不可触民、アンタッチャブル、あるいは「神の子(ハリジャン)」)、ガンディーとアンベードカルの話をしてから読書会に入りました。(参考

裏の主題を参加者が全く意識しなくていいのは、ヨガを通じて知り合った人との読書会だからで、わたしはアンベードカルが最終的に仏教に改宗したことと『破戒』の物語の終わらせかたに共通点を感じています。

 

そんな背景もあっての設定だったのですが、参加する人にとってはこれまでで一番読むのが大変だったであろう作品。それでもみなさん期日までに読了されて、途中の感情までしっかり言語化してくださいました。

 


これ単体で1時間は掘り下げたいと思うような話題がいくつもあったなか、数名のかたが「今だったらこういう物語の展開で回すことはできないんじゃないか」という視点を持たれていて、こんなふうに話してくださいました。

 

  • 今の時代だったら、戦う展開になるしかないのだろうか
  • 今だったらと思うと、半沢直樹的な勧善懲悪のクロージングを想像してしまう
  • 戦うことや革命に参加することを是とする様式美に当たり前にとらわれていた

 


これは自然主義文学(わたしの解釈:心の隙間だらけの人間の煮え切らなさやズルさ汚さをありのままに書く)に免疫がなかったことへのリアクションでもあり、それはまさにこの物語を読んだ時に自分の中に起こったことでもあったので、宿題のひとつに「結末は想像通りでしたか?」という問いを設けました。


そして参加者のなかにおひとり、ずっと「で、この人はいつ革命家になるのだろう」という視点をキープしたまま読んでいた人がいて、ご自身に刷り込まれていた様式美へのとらわれっぷりを、ゆっくり紡ぐように話してくれました。

 


そのかたのコメントが栓を開けてくれた形で、個人のなかでがっちり思想が固まっていないまま発露されるアクションについての話になりました。
「隠さない」「正々堂々」「男らしい」などの言葉と対照的な場所にいることが許されないと思ったり、そこに罪悪感を感じることもまた、無意識のもの。
「目覚めたからには戦わずにいてはいけない」と当たり前に自分が思っていたことについて、一緒に振り返りました。

 


わたしは、読書会の最中は進行役です。なのでマイクを回すことを優先するのですが、戦った人物はかっこよく勇ましかったけれど・・・というこの物語の経過はあまりに自然。恨まれることも自然だし、そのあとの悲劇も自然。

それを見ているだけの人間の煮え切らなさは、読了が大前提になるようなきっかけがないと、イライラしちゃってがっぷり四つで取り組めない。

 

 

まあとにかく歯切れよく話が進まない、焦れに焦れる小説です。主催者側としては、なかなかチャレンジングなチョイスです。だけど文学好きのための読書会ではないからこそ、この作品でやりたかった。
「途中まで読んだけれどつまらないので辞退します」という人がひとりもおらず、この長い長い長〜〜〜いスクワットのような試みに最後までお付き合いいただけたことに、当日も口頭でお礼を伝えましたが、同じ母語を話す参加者のみなさんと同時代に生まれた喜びを感じました。

 

 

最後までどっぷり話してくださり、ありがとうございました。