「あれは合理的なシステムだ。先にリスペクトが成立する」
インドのリゾート地で一緒にご飯を食べたりバイクで美しい景色を見に連れて行ってくれた人が、見合い結婚についてこう説明してくれたことがある。
これまでで最もわかりやすい説明をしてくれたこの男性は、わたしと結婚がしたい、すぐに家庭を持ちたいと言った。
実家から見合い結婚を何度もすすめられているが、その合理的なシステムにどうしても乗りたくないという。
わたしは見合いをしたことがない。親しい友人は何度か見合いをしている。
東京に住んでいると、実家暮らしの友人から見合いの経験談を聞くことがある。親が話を持ってくるという。周囲に見合い結婚で現在もしあわせそうなカップルが複数あるらしく、見合い結婚に対して当たり前にポジティブだ。
この話は最近増えたわけではない。どのカップルも結婚したのは10年以上前だ。
ここ数年で、日本では昭和から平成のバブル期に向けて盛り上がった恋愛結婚至上主義社会の見かたが変わってきている。
わたしは見合いをしたことがないが結婚をしたことがあり、実はその頃に見合い結婚の合理性について真剣に考えたことがある。インドでホームステイをしたのをきっかけに、見合い結婚のほうが合理的と考えるようになった。
日本人女性がひとりでインドを旅すると、結婚を前提としたボーイフレンド立候補者と出会うことがある。彼らはその国の仕組みから抜け出したがっている。
できるものなら外国人と結婚したい、ワンチャンあるかもという軽い望みレベルの人もいれば、わりと真剣にそれを望んでいる人もいる。そのたびに結婚観を聞いてみたい気持ちになるのだが、そこが彼らとのコミュニケーションのむずかしいところで、質問をした瞬間に「ワンチャンキター!」と認識されることがわかっているから永遠に聞き出すことができない。
「見合い結婚は合理的なシステムだ。先にリスペクトが成立する」
これまでにこんなに簡潔でわかりやすい説明があっただろうか。
双方の父母が納得し、家柄や経歴はもちろん占い師のチェックも済んで外堀がすべて埋まった状態。その結婚の合理性を理解した上で、それでも冒頭の男性は恋愛結婚がしたいのだと言った。一緒に食事をした三度目くらいでその話をされ、本人お手製のカレーをふるまっってくれた。
「あなたの話はとてもおもしろく、賢い人だと思う。料理もとても美味しくて感謝している。だがわたしはあなたを恋愛や結婚の対象として見ない」と言ったら、これまでに使った金額に色をつけた額を請求された。授業料と思って支払った。
以来、見合い結婚でしあわせになった人の話を聞くたびに、いろんな角度でリスペクトの感情が立ち上がるようになっている。
(この話は身近なフィクションです)