うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

古都コルカタの人々のプライドを理解するのに役立った意外なテキスト

GWにインドのコルカタ(旧称カルカッタ)へ行ってきました。

シーズン的に最悪の酷暑期で、気温は毎日40度を超え、インド総選挙期間中で国民のマインドもさらに熱くなっています。

「よりによってこんなときに、快適な日本からなぜわざわざ? インド人でも耐えられない暑さですよ」と現地の人に問われて「日本はいまビジネス・ホリデーなんです」なんて答えてみると、そこから「ところで、あなたの専門は?」と会話が展開します。

英語で話す人はどこか誇り高く、会話の中で「educated」という言葉を耳にする。これは他のインドの地域と少し違う特徴だなと思いました。

コルカタイギリス領インド帝国時代に首都だった街です。

 

  

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今回もタイミングのよくない時に起こることをいくつか経験しました。

自分で予約した宿はひとつも情報通りでなく、予定通りにいかないことをいくらか覚悟はしていたものの、「NOだ」を突きつけられました。

日本の感覚での定常サービスが提供されないのはインドではよくあることだけど、どこか気高い態度に見えるところが、他の都市と違った雰囲気。

行きたい場所リストの地を辿りながら、会話を通じてベンガル人のマインドのルーツを垣間見たり、いろんな瞬間を見ました。

 

 

これらの経験について、通常であればその言語化に何年もかかるところですが、ふとそれらを紐づける脳内マッチングが帰りの飛行機で起こりました。

成田空港へ向かう電車の中で読了した小説の登場人物たちに近い何かが、ベンガルの人にもある。確かにある。

物質的・教育的充足を知ってしまったことからはじまる苦しみの連鎖について、日本の古い小説を読みながら、かつてのベンガル人に近い気持ちを感じました。

 

 

その小説は、谷崎潤一郎の『細雪』です。

あの世界で描かれる階級意識・差別感情・他人を調査し値踏みする風習・東京に対する複雑な感情が、コルカタの人々とのコミュニケーションの中にも仄かに、でも確かに感じられる。これは似ている。

現地の人と話しながら同じ対象を指す言葉をうっかりヒンディで口にした際に「ベンガリでは○○○○です」と訂正される、あのなんとも言えない先方の気高い調子は、いかにも細雪的です。

わたしは直前に『細雪』を読んでいたから、一度も怒り狂わずに帰ってこられた。ありがとうタニジュン!

今ではそう思っているくらいです。

 

 

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イギリス領インド帝国時代から続くベンガル人の複雑な精神の歴史は、本を数十冊読んだくらいでは到底理解できないもの。だけど、その意識のトーンの理解に『細雪』が機能しました。

インド旅行といえば『深夜特急』が有名だけど、コルカタを旅するにあたっては『細雪』もおすすめです。

 

 

「インディアン・コーヒー・ハウス」のコルカタ大学前店です。

ビルの古さ・内装・制服の相乗効果がすばらしく、昔はコーヒーを飲む行為ひとつすら自分自身を囲む世界を感じるイベントだったんだよなと、そんなことを思い出させてくれる場所でした。