うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

伯爵のお気に入り 女を描くエッセイ傑作選 向田邦子 著

友人が Instagram にアップしていた自宅の本棚の画像を食い入るように見つめているうちにこの作家がとても気になり、初めてエッセイを読みました。
気心の知れた友人の本棚の吸引力はすごいものですね。その人にとって重要人物と思われる本の一群がいくつもあって、へぇそうなんだ! となる。わたしはこんなふうに、心の通じる友人の愛読本を追いかけるのが好きです。

 

この本に収録されている「手袋をさがす」という作品はどんな高名な僧侶の話よりも説得力があって、こんな文章を書く人だったのかと驚きました。名前は知っていたけれど実際読んだら想像以上にすごかった。この高揚感は、ほかでもよく似た経験記憶があります。小学生の頃に少年探偵団一筋で子ども向けの江戸川乱歩を読み、やがて受験戦争を終え、大人向け江戸川乱歩の代表ともいえる「人間椅子」を初めて読んだときのあの衝撃。まさにそんな感じで、この年齢になって読んだらすごかった。

 

日々の小さな葛藤を文字だけでこんなふうに描けてしまうものなのかという驚きは、鉛筆で写真のように人物を写実する人の絵を見たときと同じで、ちょっとしたエピソードがいちいち目に浮かぶ。日常の中で自分をみじめにさせないための内面の駆け引きってこんなふうに文章化できるんだ…、というおどろきが絶え間なく来る。そして見栄っ張りで情けない出来事とくだらない出来事は常にパラレル進行。どんなに深刻さを演出しようにも、そうそう100%シリアスにはならないのが日常だわなーとあらためて思う。

 

制服のスカートを寝押しする方法の話から始まって、短い物語の中に10代の世界の狭さとおかしさが詰まった「襞」というエッセイがあるのですが、これがどうにも、すごくよいです。途中からスカートではなく穿くのがもんぺになります。戦時中に女学生だった作者が、明日の命もどうかわからないという時にも校長先生が渡り廊下のすのこにつまずいて転んだというだけで心から楽しく笑っていたと書き、「女学生というのはそういうものであるらしい。」と回想しています。

 

当時の女性のありかた、ピンク色の物や派手な服を着るとそれが子供であっても「女給のようだ」と家族から軽蔑されたり、地図が読めず道案内が下手であることが女らしさと感じる、そういう感覚はいまでもすごく共感する文章で書かれています。
「女地図」というエッセイの最後は、こんなふうに締めくくられます。

 私が言う地図音痴は、戦前の教育を受けた女たちである。
 此の頃の若い女性たちは、必ずしもそうではない。手紙の文面などはお上手とは言いかねるが、地図はうまい人が多い。
 いろいろな色の鉛筆を使い、イラスト入りで、絵のようなしゃれた字で、かなり正確に、そして面白い地図の描ける女性が増えてきた。
 いいことだなと思いながら、私は少し不安でもある。
 女が地図を書けないということは、女は戦争が出来ないということである。
 敵陣の所在も判らず、自分がいまどこにいるのかもおぼつかないのだから、ミサイルどころか、守るも攻めるも、出来はしない。
 そのへんが平和のもとだと思っていたのだが、地図の描ける女が増えてくると安心していられないのである。
(最後の文の「もと」には本文では強調点がついている)

このエッセイは、打ち合わせで行く店の場所を電話で訊ねたら女性店員の説明ではらちがあかず、作者が「申しわけありませんが、どなたか車を運転する男性のかたに替っていただけませんか」とお願いするところからはじまります。
この出だしと結びが、祖母の時代からわたしの時代への流れをギュッと濃縮している。当時の価値観と特徴を淡々と描き、そこになんら恨み節も同族嫌悪もない。とにかくいろんなことをよく見ていて、そこに自身の意地悪な偏りがあったとしても、それも漏らさず書いていく。


最後に収録されている短編小説「胡桃の部屋」を読んだときには、タゴールみたいだなという印象を受けました。「唖娘スバー」のようなやりきれなさがありました。決して現実離れをせず、素敵なミラクルも起こらない。なんなら理不尽ともいえる。なのに、確実に自分を愉しませ立ち上がらせるものが自分の中にあることを気づかせる。こういう不思議な力がある。


重みをもたせるべきでないところに重みをもたせない、そういうブレーキの踏みかた、ジャンプのしかたも絶妙です。
「夜中の薔薇」というエッセイの中に、作者に人生相談をしたいと中年の女の声で電話がかかってきて、その夜のうちに近くの店から電話をかけてきて「マンションは調べてある、逢ってくれないなら部屋の前で首を縊る」という人が出てくるのだけど、今でいえばストーカーのエピソード。これが、さくっと他のエピソードに挟んで書かれています。
作者は命を武器に他人を支配しようとする人間のエゴを見つめたうえで、その弱さやずるさを克服する過程で思考がおちゃめな方向へ転がる日常を格別にうまく書く。「唯我独尊」というエッセイはそんな人間の描きかたが最高に鮮やかで、これまたどんな高名な僧侶の話よりも説得力がある。
こういう舵の切り方とリズムに、この作家が「かっこいい」といわれる魅力のタネがあるのだろうな、と思いながら読みました。
冒頭に書いた、自宅の本棚写真を見せてくれた友人にもどこか似たところがあります。よい教えに出会えて、とてもうれしい。

 

伯爵のお気に入り: 女を描くエッセイ傑作選

伯爵のお気に入り: 女を描くエッセイ傑作選

  • 作者:向田邦子
  • 発売日: 2019/08/07
  • メディア: 単行本