うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

洞察力を高める方向へ向かう人と関わっていきたい

身体を動かしてスカッとして、よく眠れて毎日がアクティブに充実して、なにこれいいじゃな~いという感じでヨガを始めて、以後は範囲も広がりかれこれ15年以上が過ぎています。
これまでの観察で自分の変化について思うのは、細胞が6年~7年で入れ替わるといわれているのは心の面でも似ているな、ということ。いろんな要素が少しずつ変化して、7年経つ頃には別の視点を得て、物事の捉え方も変わっていく。過去の視点ももちろん記憶としてはあるけれども、そのまま再現できないものもある。


それはヤングの恋バナを聞いて「おばちゃんわかるよ! そのときめき。まったく同じ熱量でいま行けるか言うたら、そうはならんけども」という感じと似ています。ネガティブな性質のものに対しても同様。「わかるよ! その怒り憎み恨む感じ。まったく同じ熱量で同調できるか言うたら、そうはならんけども」ということになります。


若ければ若いほど世間では理不尽な扱いも受けて、そういう道場に入れられたような感じでやってきて、そこで怒りや恨みのエネルギーを時代に合わせてうまく変換しスキル化させた人が、あとですてきな中年になっている。これは最近わかってきたことです。ここ数年で何人か、内省力が高くなっていると感じる人と話すことで気がつきました。
新たに出会うのではなく、以前から知り合い・友人であった人の中からバージョンアップした人格を見出すような、出会いなおしている感じです。これはとても励みになることです。自己観察のなかから、洞察力を鍛えている人がいる。これはヨガの大きな効用のひとつであると感じます。

 

今年の4月のロックダウン以降、わたしはヨガを通じたフルオープンの新たな出会いの場を設定しておらず、この感じはまだまだ続くだろうと思っています。これまでのような「初めてお会いする人も、どうぞおいでください。一緒にやりましょう。この日にこんなヨガクラスをやりますよ」というメッセージの出しかたで活動をするイメージがわきません。
それよりも今は、ここ数年の出会い直しの流れの延長として現状を捉えることにしています。

 


 洞察力を高める方向へ向かう人と関わっていきたい

 


わたしはこのテーマを何年も前から感じてはいたのだけれど、言葉としては見つけられずにいました。
こういう状況になって周囲を見回して、社会に複雑な課題が与えられているときでも、洞察力のある人とは積極的に関わっていきたいという気持ちがあることに最近気がつきました。
ヨガっぽいフレーズ、ヨガっぽいアクション、ヨガっぽいライフスタイル。多くのアイデアがオンラインで、ソーシャル・ディスタンスと両立して提案されています。ヨガっぽい人をウォッチする行為もソーシャル・メディアで行われるせいか、わたしもなにかのついでに Instagram を見られていると感じることがあります。でもわたしは、そこに意識の洞察素材を置いていません。心は乗っていません。ほぼ東京のカレー情報です。

 


わたしの本拠地はやっぱりこのブログと生うちこ(リアルなボディ)で、「いま・ここ・ユーとミー」のエネルギーを大切にしたい。リアルタイムで活動をオンライン化することもイメージしていません。別のことに集中力を注いでいます。

 


いずれにしても、わたしが関わっていきたいと思うのは、洞察力を高める方向へ向かう人。
昨年を振り返って、これまで毎年行っていた地域に加えて福岡へ行っておいてよかったとしみじみ思っています。きっとそういう人にも出会えているから。ちょうど去年の今頃、広島→福岡ルート告知をしたり、あれこれ準備をしていました。
今、これまでに出会えた同時代を生きる人の存在が頭に思い浮かぶのは、この状況に対する各自の内省が、のちにどんな形でコミュニケーションに反映されていくのかが楽しみでもあるから。


このように、わたしは以前のようにひょいと出ていくことはなくなりましたが、これまでにお会いできたみなさんが適度な不真面目さを失わず、しゃれの通じる人で居続けてくれることを願っています。わたしがいつか突然猛烈にギャグを連発しても、口を閉じたままバンダでこらえきってほしい。飛沫ゼロを実現する3つのバンダ(言えますか? 見えますか? パンダじゃないですよ。「ば・ん・だ」)の存在を忘れずにいてほしい。そんなことを思っています。

老眼に配慮した小ボケのクッションを入れるようになるほどこのブログが続いていくなんて、15年前は思ってもいなかったな…。時は流れるね。楽しんでいこうね。

 

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  ばいなら~