うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

文豪はみんな、うつ  岩波明 著

島崎藤村の「ある女の生涯」を読んで、当時は精神医学の概念にグラデーションがなく、食い止められたものも食い止められずに「狂った」という扱いのところまで行く人が多かったんだろうなという感想を持ち、調べているうちにこの本を見つけました。

新書特有のタイトルの付けかたですが、内容は現代の精神科医が10人の文豪のメンタルの状態を時代背景とともに追っていくもので、世間のイメージよりもしっかりと各作家を見ていて、読み応えのあるものでした。

 

この本の著者は、島崎藤村は過小評価をされている作家という見かたをしています。

わたしは最近「家」という小説を読んで、ものすごい作家じゃないかと思っていたところだったので、やっぱりそうだよな…という気持ちで読みました。

精神医療の情報のかけらもない明治時代の作家が、性格や脳の遺伝・印象を引きずることに向き合い、それでも新しい考えで生きていこうとしていた。島崎藤村はその葛藤をしっかり言葉にしています。

実際にやったことは確かにロリコンのクズ行為ではあるのだけど、その過程の心理描写は他の作家でここまでやっている人、いる? というレベル。あの心のデッサン力はほかの作家にはないほど写実的であけすけで、ずるくて汚い人間の思考の物質化という点ですごく価値がある気がするのです。

 

わたしが島崎藤村の父・正樹を題材にした「夜明け前」を読むのはまだまだ先になりそうですが、以下の精神医学の歴史を知った上で、やっぱりいつか読みたいと思いました。

 晩年になり正樹は、国学の指針である廃仏毀釈に狂信的となり、島崎家の祖先が建立した永昌寺に火を放った、この時点で、正樹には被害妄想と幻聴が出現し、興奮状態もみられたために、本陣内に建設された座敷牢に収容されている。 正樹の精神疾患の発病は五十代である。これは、統合失調症としてはかなり遅い発症であり、一般的ではない。しかし彼の病像は統合失調症に典型的なものであり、診断としては統合失調症か、妄想性障害などの統合失調症の関連疾患であると考えられる。(第七章 島崎藤村 父、島崎正樹の病 より)

 東大医学部において精神病学教室が設立されたのは、正樹が座敷牢に収容されたのと同じ明治十九年のことであった。この時期は、日本における精神医学がようやく始まろうとしてきた時期だったのである。余談になるが、当時東大病院においては内科の教授たちの偏見が強く、院内に精神科の病床を建設することができなかったという。 そのころの日本において、精神科の病院に入院するべき患者はどこにいたのかというと、それは座敷牢の中であった。一方、ヨーロッパにおいては、近代の初期において、精神科患者を収容するために、巨大な収容施設が建設された。

(第七章 島崎藤村 『夜明け前』──座敷牢の住人 より)

この父の娘(藤村の姉)の時代には根岸に精神病院ができていて、姉の入院の様子は「ある女の生涯」に書かれています。

わたしは自分が妄執に陥らないようにするためにどうすればよいかにずっと関心があって(そのためにヨガの様々な方法を実践しているのですが)、夏目漱石島崎藤村は日常の中にある些細な妄執と引っかかりのバリエーションを呼吸するように文章化していく点で格別です。

 

 

この本はほかに夏目漱石有島武郎芥川龍之介島田清次郎宮沢賢治中原中也太宰治谷崎潤一郎川端康成の合計10名について書かれています。

 

なかにはまったく知らない作家もあり、与謝野晶子の彼氏だった有島武郎って里見弴のお兄さんなの?! なんて、映画で知ったことと繋がったりしました。(里見弴の小説は小津映画の原作になったものがあり名前だけ知っていました)

ほかにも、宮沢賢治島田清次郎という作家が一時期傾倒していたという暁鳥敏(あけがらすはや)という宗教的指導者の名前を知ったり、掘り下げてみたくなるような発見もありました。

 


芥川龍之介宮沢賢治は「圧倒的にオリジナルな能力で世間に認められて、圧倒的に安心したい」という願望がひしひしと感じられ、もうじゅうぶんすごいのに頭のいい人って大変ね!と、平凡な感想を持ちました。

 

 

宮沢賢治が教え子に宛てた文章を読んだときには、これを見せられた生徒がちゃんと反面教師にできたのか心配になりました。(老婆心)

これは重い。

 亡くなるまでの二年間、賢治は自宅の病床で過ごした。この時期は遷延し、自責的、悲観的となることが多かった。昭和八(一九三三)年九月、肺炎のため賢治は死去した。まだ三十七歳であった。

 次の手紙は、死の数日前、賢治がかつての教え子に宛てたものである。


 じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲けり、いまにどこかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かが空しく過ぎて漸くじぶんの築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です

(一九三三年九月十一日)

 

(第五章 宮沢賢治 / 晩年 より)

ものすごい訴求力。

客観視できるからこそ病んでしまう展開って、ある。あるよー! と妙に応援したくなる気持ちにさせる無駄のない文章です。

自分がめんどくさくなるにしてもこの宮沢賢治のような状態までいかないようにしようという、崖っぷちを見せてもらったような気分。重いわー。

 

このほかにもひとり、知らない作家でしたが島田清次郎という人の話がなかなか大変でした。いつか小説を読むかな、どうかな。

 

 

文豪はみんな、うつ (幻冬舎新書)

文豪はみんな、うつ (幻冬舎新書)

  • 作者:岩波 明
  • 発売日: 2010/07/01
  • メディア: 新書