うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

アンベードカルの生涯 ダナンジャイ・キール 著 / 山際素男 翻訳

「不可触民」に生まれながら、インド独立の二年後にインド憲法の草案を作った人。
そこに昇りつめるまでにどんな不当な扱いを受けたか、いかにそれが大変なことかは、インドの「不可触民」について少しでも知っている人なら想像ができるでしょう。
なぜ、日本でガンジーのように「世界史の授業で必ず覚える偉人」として知られていないのかが不思議でなりません。カースト制よりももっと厳しいインドの差別の問題について触れない文化からでしょうか。彼を語るときに、犬や猫もしくはそれ以下に扱われる身分について触れることができなかったからでしょうか。
この本に出てくるさまざまなエピソードと演説は本当に男らしく、勇気づけられます。ゆがんだ現状の中で、本質に忠実にありたいと思うすべての人に勇気を与えてくれる一冊だと思います。いまのところ、今年一番感銘を受けた本。読みながら携帯のメモ機能に残したページ数が多く(いつもこのようにして通勤読書中にメモを残します)、すべて引用するとかなりの量になるのですが、いくつか紹介します。

<第四章「時の人」より>
ガンジーカースト制と四ヴァルナの信奉者であった。彼の狙いとするところは、カースト制はそのままにし、不可触民制だけを廃止して不可触民を第五位カースト民の地位に引き上げようというものであった。(中略)ガンジーのやり方は改良主義的であり、アンベードカルのように、この社会を根本から立て直す革命を目指すというより、傾きかけた古い家を改築しようというものであった。アンベードカルの場合、事情は全く違っていた。彼は不可触民の出であり、不可触民が考え、感じるように彼もまた考えることができたのである。(中略)不可触民を都合のいい時にだけ持ち出し、被抑圧階級を食い物にする組織や運動を徹底的に軽蔑していた。

このあと、この新しい不可触民の指導者は、同胞に対しても辛辣であった。と続き「もし新しい人生を見つけ、甦ることができないのならいっそのこと死んでしまったほうがましではありませんか。」という同胞への激が記載されています。このどこまでも真正面な姿勢は、彼の特徴であり、その後もさまざまな権威に対する場面で、このような姿勢がつらぬかれています。

<第十章「ガンジーとの闘い」より>
アンベードカルとガンジーのはじめての会談での一幕から引用。
ガンジージー、私には祖国がありません。」
ガンジーは不意をつかれ、彼をさえぎった。
「何をいうのかね、博士。あなたには祖国があるではありませんか。円卓会議でのあなたの働き振りについての報告で、あなたが立派な愛国者であるということを私は良く知っています」
「あなたは、私に祖国があるとおっしゃいましたが、くり返していいます。私にはありません。犬や猫のようにあしらわれ、水も飲めないようなところを、どうして祖国だとか、自分の宗教だとかいえるでしょう。自尊心のある不可触民なら誰一人としてこの国を誇りに思うものはありません」

非常に印象的な一幕です。そして驚くことに、すでに政界のヒーローだったとはいえ、ガンジーはこのときまでアンベードカルが不可触民の出であることを知らなかったのです。知る前に、すでに敵意を抱いてしまうほどの鋭い発言を目のあたりにしてしまったガンジー。もしこの時ガンジーがアンベードカルの生まれ身分を知っていたなら、歴史は違った方向に動いたのではないかと思うほどの一幕です。そしてこの事実は、不可触民を"ハリジャン(神の子)"と呼びながら、ガンジー自身がまさか自分の政治活動領域に不可触民は存在しまい、と思っていたのではないかと思わせる内容でもあり、非常に心に残ります。

<第十四章「ヒンズーイズムの断罪」より>
「私はきっぱりヒンズー教と縁を切る決心をした。(中略)宗教は人間のためにあるのであって、人間が宗教のためにあるのではないのだ。諸君を人間として認めず、飲水もあたえず、寺にも入れてくれない宗教は、宗教という名に値しない」

その後、彼はシク教を経て最終的には仏教に改宗するが、シク教を選んだときの理由に「不可触民が回教あるいはキリスト教に加わるということはヒンズー社会からの離脱だけでなく、ヒンズー文化からも離れることを意味する。もしシク教徒になるなるのならヒンズー文化圏内に止まることになる」といっており、人口の20%をもしめる不可触民の指導者として、その影響と国民性を思慮しての決断、といったようなことが書かれています。

<第十六章「労働者のリーダー」より>
アンベードカルは議会に対し、不可触民階級は前々からその用語を忌避しており、ハリジャンを法的用語として採用しないで欲しいと訴えた。「もし不可触民階級が神の子というのなら、可触民階級は"怪物"族とでも呼べばいいのか? もしすべての人間をハリジャンと呼ぶというのならば、敢えて異は唱えまい。しかし、不可触民にきれいな名をあたえるだけでは無意味である。」

この"ハリジャン(神の子)"という言葉について、多くの日本人が美しい歴史イメージを持っていたら、それは本当に誤解であり、日本の歴史教育の恐ろしさを感じます。

<第二十四章「飽くなき批判」より>
「(中略)外交政策にとって地理的要素は最も重要なもののひとつであり、各国の外交政策はその地理的位置によって多様化してくる。イギリスにとって有利な条件がインドにとってそうだといえない時があるのだ。」

これはネール首相への批判の一幕ですが、政治家として、どこまでも本質を追うこの姿勢に感動します。


ガンジーとの闘い」と題された第十章は彼の生涯が語られる上でもっとも有名な歴史的エピソードです。第十章のほかにも一部を抜き出すには経緯が長すぎて書けなかった、感銘を受けた場面がたくさんありました。さまざまな立場の人とアンベードカルの問答、さまざまな立場の人に向けられた演説の内容、すべてがインドの歴史をありありと語るものです。もっと、多くの日本人に知られていなければいけないと思う偉人です。

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