先日、少し遠くに住む友人に会いに行ってきました。
そのご夫婦はまだ一歳に満たない赤ちゃんを連れてインドへ旅行に行きたいと言っていて、だよねだよねあの国ならいけるよねと話をしました。
この本を読んだら、どうやら台湾もそれができそうな社会みたい。
著者は台湾で子育てをしながら働いていて、そこへ至る経緯もなかなかの波乱万丈ぶり。日本社会で働きながら子育てをする精神面でのしんどさが書かれたところに大きく頷きながら読みました。
わたしは台湾へ行ったことがないけれど、アジアの国を旅しながら感じてきた日本との違いは、子供と高齢者はゆっくりでもいいこと。これは特にインドとベトナムで感じます。
70歳を超えた親を連れて旅をしているとこの慣習はとてもありがたく、ベトナムは乗り物で必ず座らせてもらえるので、一緒にいるわたしがラクです。
社会のなかで足手まとい扱いされないことを理由に、そこに快適さを感じて移り住む。子育てをしている著者の選択はすごく頷けるもので、以下のひと言がとても印象に残りました。
どこにいてもすぐに居場所が見つかる雰囲気
そう、これ!
と思いました。
冒頭に書いた、赤ちゃんを連れてインドへ旅行をしたいと言っているご夫婦の話に戻すと、「ここに居ていいよと言われる場所が見つけやすい環境」であることがわかっているので、わたしも「だよねだよねあそこなら行けるよね」と思う。
このエッセイは先日友人たちと話したことが台湾バージョンで書かれているように見えて、東洋医学が今も生きている生活習慣の部分も興味深く読みました。
特に「月子」といわれる産後ケアはすばらしく、こういう文化があっても少子化しているのが不思議なくらいだったけど、最後まで読んだら台湾が「変わろうとして」いまここまできている状況であることや、変わるきっかけとなった事件に触れられていました。
「あとがき」でピリッとくる構成。
最後まで読んだところで、インドで低位カーストの女性が議員になったのちに暗殺されたプーラン・デーヴィーの伝記を思い出しました。
子育ての環境の変化は、社会が向かっている方向(あるいは反省)を如実にあらわしますね。
社会にふるい落とされることもないように気をつけながら生きてきて、その連鎖を落ち着いて見るようになった頃には、出産に適した時期を過ぎている。
「足手まといにならないように気をつけながらやってこなければいけなかったことって、一体なんだったのだろう」と振り返るきっかけとして、 “台湾での子育て環境” は示唆がいっぱいの視点です。
軽快な文章で綴られているけれど、著者に起こった状況の過酷さもミラクルも涙なしでは読めない話。
古くからの因習を無理に断ち切ることをせず、個々人の内省から社会が動き出している台湾社会のバランス感覚に多くの刺激を受けました。