今年の初夏にウェブ・マーケティング関連のちょっとしたテストを受ける機会があって、そのために立ち寄った書店のビジネスフロアでちらっと開いて読みはじめたら目が釘付けになり、昔の本ですが手元に置きたくて買いました。自分をいたわるために買いたくなりました。
女性の社会心理について多くの文字数が割かれており、マーケティングの手法よりも、それ以前の現実の捉え方に「それな!」と思うことが多くて。
もとは15年以上前のアメリカの本です。なので手法のところは古いのですが、中盤に「インドの女性たち」「中国の女性たち」を切り出した章もあり、アジアの大国とのギャップもしっかりおさえられています。
いまは日本でも多様性とあちこちで言われるようになり表面上は変わってきましたが、15年前はアメリカでもこんな状況なのでした。
広告を見ていると、五四歳以上の人はみんな死んだか破産しているような錯覚に陥る。だがそんな認識は、現実とはほど遠い。
(3章 女性の買い物を変える五つの世界的トレンド より)
この本の事例のなかには中高年女性向け30分フィットネスの「カーブス」があり、日本でも2019年の時点で2000店舗以上の規模で店舗数を伸ばしています。
この本の読みどころは、脳の性差についてわかってきたことが簡潔にまとめられているところです。
少し前に心療内科で教わったことを書きましたが、その際に医師のかたが「続いても55歳くらいまでのことだから」と、更年期の脳(メンタル)への影響対策を一緒に考えてくれました。冒頭で「いまはこの時期に起こる脳のはたらきとして、ここまでわかっているので」という話をしてくれました。
おそらく女性の脳は、男性の脳よりさらに解明が遅れている。医学の歴史が始まって以来、女性はほぼずっと、あらゆる研究から除外されてきた。ホルモンの変化、月経の周期、妊娠などが、テストするうえでの基準に「干渉する」という理由で。その結果、脳もふくめたあらゆる医学的研究の対象となる「一般的な」患者は、たいてい男性とされた。おおざっぱにいうなら、生殖器官をのぞいて、女性は男性の小型版だと考えられてきた。性差が認識されることで、大規模に実施される医学的研究の手法に変化が見られはじめたのは、比較的最近 ── ここ三○年ぐらいのことだ。
研究の結果、男性と女性の脳がたしかに違うこと、ユニセックスの脳など存在しないということが、次第に解明されてきている。
(2章 男女の違い、五つのポイント/脳の性差からわかること より)
この本では、このあとに(男女の脳の違いがあった上で)さらに文化ごとのジェンダー観が加わっていくこと、周囲の期待が脳の回路形成に重要な役割を果たすことが語られています。
以下の点について何度も言及されているところも、すばらしいです。
1章にある「木を見ながら森も見よう」という部分で、このように指摘されています。
女性の昇進をはばむ壁がいまだに存在しているせいで、どんな状況であれ、職場では男女差について議論するのがはばかられる。女性はこの数十年間、けんめいに働きつづけ、男女が同等であることを証明してきた。そのために、自分たち女性が劣っているだとか弱い存在だと見られるのを恐れるあまり、男女の違いを指摘することをためらうのだ。
一方の男性も、女性に対して差別的だと見られたり、セクハラをしているととられるのを怖がって、こうした話題をもちださない。
「チームに女性を迎えるだけでは不十分」という部分で、繰り返し以下のように語られます。
ここで理解しておくべき大事な点は、こうした場合に女性が板ばさみになりがちだということだ。女性の多くは、男性の同僚たちと自分との違いを指摘し、擁護することをためらう。ほとんどの女性は、自分が男性と変わらないことを証明するためにがんばって働いてきたので、あえてそうした違いを同僚たちに思い出させたがらないのだ。
この「思い出させないようにする」という生存戦略を自然にとることについて、この本ではしっかり触れられています。
カスタマーサービスを自動化することのリスクについての説明も鋭く、うなるものでした。
小さな子どもどうしが交流を始めると、母親は公平さについて教えようとする。きょうだいや友だちとものを分け合うようになさい、「~してください」「ありがとう」といいなさいなどと何百ぺんも言い聞かせる。みんないたるところにアンテナを張って、ちょっとした不正を見つけようとする。自分の子どもにそうしたことが起こったとき、気づくのは母親の務めだからだ。女の子は小さなころから、やさしくていねいに、穏やかに振る舞うように教えられ、大人の女性は親切で公平な、弱者の味方であることを期待される。だから、女性がろくでもないカスタマーサービスを経験する立場になったら……、そう、その怒りほど恐ろしいものはない。
(5章 女性にアピールするマーケティングとは より)
ここは少し前に引用した要素と拮抗するところです。
社会人として外に出ているときは「機械的で効率的なカスタマーサービスを理解する現実的な社会性を持っています」という態度で過ごし、保育園・幼稚園に子どもを迎えに行くときのマインドは「弱者の味方をしないスタンスに対して厳しい視点でなければいけない」という、真逆のセンサーをはたらかせる。
「女性活躍社会」「少子化対策」という言葉を同時に耳にするときに苦しく感じるのは、すべての女性がこのバランス・スイッチを瞬時に切り替える能力を当たり前に備えろといわれている気がするから。(じゃない?)
この本は「女性に購入の決断をさせる」ことを目指すための内容になっています。事例にヨガウェアブランドの「ルルレモン」が登場しているのも興味深くはあるのですが、そこは少し昔の情報に見えました。(SNSが普及する前の時代なのでね)
翻訳本なので語調はアメリカ的だけれど、漢字のひらきかたに女性向けの細かな配慮が見られ、日本の女性に読まれることを意識して出版されています。
マーケティングの手法の本というよりは社会学の本として、読んでいて頭がスッキリする本でした。
「広告を見ていると、五四歳以上の人はみんな死んだか破産しているような錯覚に陥る」というこの本の言い方もすごいけれど、わたしは「五四歳以上の多くがていねいな暮らしをして悟りたがっている」かのような広告も病的と思っていて、この境界については注意深く見ています。
死んでもいなければ破産してもいない。本気で悟ろうってわけでもない。自分だけが楽しんではいけないと思うからこそ、楽しんでいることが見つからない場所を探すっていうのもあると思うから。「ていねい」は隠れ蓑だよ。(そんなことない?)
こういうことを考える人に、きっとおもしろく読める本です。