うちこのヨガ日記

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脳内で少女マンガが発動しかかる中年女性の苦悩(夏目漱石「門」読書会より)


初夏に東京で夏目漱石「門」の読書会をやりました。年齢も性別も居住地もさまざまなみなさんが集まっての談義。
ローカロリー生活を送る夫婦を描いた物語ですが、みなさんの脳内で展開しているトーンにはさまざまな差異があり、それを確認するがこの会の楽しみのひとつ。今回は「何歳になっても脳内で少女マンガが発動しかかる中年女性たちの苦悩」が露呈しました。

この小説は、ものすごく地味な夫婦の物語です。
妻は自分が夫の弟から好かれていないことを気にしています。好かれていない背景には当然理由があるのですが、この地味な夫婦はお互いが暗い気持ちにならないよう、気を使いながら暮らしています。夫の宗助は、処世術の参考書のようにこの時代の人が読んでいた「論語」を読んでいます。
それぞれの名前は、夫=宗助(そうすけ)、妻=御米(およね)、夫の弟=小六(ころく)。

この夫婦の会話をきっかけに、今回の読書会では「現代の中年女性の苦悩」が顕在化しました。
問題の会話は、部分。最初のセリフは御米。

「小六さんは、まだ私の事を悪(にく)んでいらっしゃるでしょうか」と聞き出した。宗助が東京へ来た当座は、時々これに類似の質問を御米から受けて、その都度慰めるのにだいぶ骨の折れた事もあったが、近来は全く忘れたように何も云わなくなったので、宗助もつい気に留めなかったのである。
「またヒステリーが始まったね。好いじゃないか小六なんぞが、どう思ったって。おれさえついてれば」
論語にそう書いてあって」

ここは、男性の視点で言うと、御米さんの知的ユーモアを含んだ返しにシビれるところかと思います。わたしは男性ではありませんが、わかります。一流ホステスは日経新聞を読んでいる、といわれたら「そうだろうなぁ」と納得するのと同じ感じでわかります。
実際、こんな返しをしてくれる女性はすてきだという男性の意見があり、その場はウンウンと丸く収まりつつ、わたしがなんとなくつぶやいたことに対して、あとでこっそり女性たちから反応がありました。
わたしがつぶやいたのは、こんなことです。


 ここ、「またヒステリーが始まったね。」でカチンときたあと、
 「おれさえついてれば」でズッキューンてなる。
 という女性も多いんじゃないかな。
  ……と思うところだったりするんですけどね。


その場で小さくうなずいている女性が数名いたことに気づいていたのですが、彼女たちはうなずきつつも、反省をしていたようです。
帰りがけのなにげない会話で、AさんとBさんが、こんなことで意気投合しておられました。


 「あれ、少女漫画ですよねぇ…」
 「壁ドン、みたいな、ね…」


はやりものやアイドルにキャーッとなっている女性を腹の中では侮蔑しているくせに、自分たちだってちゃっかり、文学小説のなかに同じものを発動させているという事実。この事実!(笑)。
でもこうやって猛反省する姿は、知的。ときどき下世話。うん、でも、知的。


 この「うん、でも」が、いいんだよなぁ。


(↑ ここは「孤独のグルメ」のナレーション風で脳内再生お願います)



日常の「うん、でも」って、なかなか話す機会がなくてホコリみたいに溜まっていくし、油とくっついちゃうと固まっちゃって、あとでこそげ落とすのが大変。日々通り過ぎていく感情って、どこまでが本能で、どこからが知性なのだろう。
おとなって、かわいい。


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