インド旅行の行きと帰りの飛行機の中で映画「万引き家族」を観た。
行きと帰りで土台の感覚が変わった状態で観ると、心が痛むポイントが違う。
行きで観たときは、嗚咽の筋肉痛が首から上にものすごくあって、頭が痛くなった。理不尽さや不条理へのやり場のない怒りの感情を伴った痛みかた。
帰りに観たときは、胸が苦しかった。インドで視覚的に貧しく見える状況をたくさん見たあとの「万引き家族」は、景色の整った町で「自分たちは貧しくないことにしたい」という気持ちで生きていくことのしんどさのほうが際立って見えた。少女の両親の、住居の前でのインタビューの場面が強く印象に残った。父親の服装とネクタイ、母親が作ったごはんとして返答するメニューのチョイス。平均って、このくらいだろうか…と思いながら返答する夫婦の混乱が重い。腹までズシンときた。
彼らの「貧しくないことにしたい」は、「余裕があるように見せたい」ではなく「平均より大きく下回っていないことにしたい」という、漠然としつつも切実なつらさ。「漠然」と「切実」が両立してしまっている現状が、この数秒のシーンで示される。
インドでは想像通りの物乞いのほかに、さまざまな種類の趣向を凝らした物乞い(タカり)に遭った。わたしからカツアゲをしたりさらに高額な金銭を求めてきた詐欺師のRさんは「心に余裕があるように見せたい」人だった。人間の価値は物質ではないハートだといい、あなたは内面が美しい、ハートの美しい人は人を助けるという話の流れでお金をくれとせがまれた。
わたしにはよくわからないものも含んだ論理だったけれど、重くは感じなかった。
「万引き家族」の少女の生みの両親のように「平均って、このくらいだろうか…」と迷いながら生き、怒りの感情を処理できない姿は、わたしにはリアルすぎてつらい。
少年の両親(リリー・フランキー×安藤サクラ)の主張はインドのRさんに近いスタンスで迷いがない。そうとう無茶な論理でも、自分の義務を自分で設定する生きかたが存在している。
しんどさと心強さの両面を同時に見せられることに日常的に慣れていないと、なかなかきつい映画だ。日本での生活は精神的に打たれ弱くなりやすい。内側から心の屋台骨がまるでシロアリに食われた家のように、いつのまにかスカスカになってく。わたしにはそうなっている実感がある。
ある日突然崩れる前に、この映画を観ておいてよかった。
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