ずっと文章にしたかったRさんとのことを、1か月半以上かけてやっと書くことができました。
旅先で、いまの生活とは環境も人間関係も違う状況で起こったことだけど、でも要素としては確実に基本的な人間関係の問題を含んでいる。そんなあれこれが詰まったこういう経験ほど、文章にするのがむずかしい。客観視するのがむずかしい。
この濁流にのまれるかのようなめくるめく展開を、誰かにずっと話したいと思っていました。でも話の序盤で「そもそも、なんでそんな人についていくの」という質問をされたら「そういう雰囲気の場所でね…」とモゴモゴして、わたしはその話題をひっこめてしまう。そしてそのまま、対外的にはなかったことになったまま、自分の中ではこってり残って自分を責め続ける。
わたしは記憶という機能そのものを自分でコントロールできないものと思っているので、なんとか客観視の比率を増やすことで、自分のなかで温和にクロージングしたい。
今回のことは、当時現地でいっしょに移動や食事をしていた日本人の友人に「近所の人」としてリアルタイムで話はしていたけれど、不思議な理論で口説かれているという話まではできていませんでした。そのときはその都度自分で判断したい気持ちが強くあったので、ずっとひとりで考えていました。
その後、わたしがインドから戻って一ヶ月が過ぎたころに、リシケシで知り合って10年以上になる友人がうちへ泊まりに来てくれたことで話をまとめることができました。
お互いの旅の報告をする気マンマンでの再会で、土地の名前、お店の名前、道の名前、すべてを知っている人に聞いてもらえることで、スルスル話を進めることができました。
「あー、うんうん。いそう」とか「ぐはは。ありそう~」「わたしも見たことある」「その人なら知ってる」と相槌を打ってくれる彼女のおかげで、Rさんとの話をいともあっさり整理できました。彼女はRさんがグルジと呼んでいたヨガ・スクール経営者のことも知っており、記憶と知識が補強された形になりました。
Rさんのこともその友人(ヨガ・スクール経営者)のことも悪人として脚色することなく、過剰な被害者意識で自己弁護を強化しすぎることもなく、自分のなかでなかったことにせず、肥料にできた(毒かもしれないけど)。
わたしはバブル時代の小説の末尾で作家がたまに書いている、担当編集者との親密度をほのめかすあとがきを「なんじゃこりゃ」と思っていたのですが、なんでそんなことをするのか気持ちがわかりました。
自分の欲の原始的な部分を外に出すのって、すごく勇気のいることなんですよね…。だからうめき声をあげながらダサいこともして練習して結果を出したんだ! というときに「この人と一緒に練習しました」と思わず言いたくなる。恥かしさとワンセットみたいなところがあるんじゃないだろうか。
あれは消費者目線(読者視点)ではちょっと無粋に見えるけど、それをやる人の気持ちとして、ひとりでやったんじゃありませんという気持ちも少しだけ混ざっているのではないか。書いてみたあとにそんなことを思いました。