うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

一次情報とゼロ次情報の発し手であろうとすること。リシケーシュで思いを新たにしたこと

7年ぶりにインドのリシケーシュという場所へ行ってきました。ヨガの練習に行く人の多い、聖地といわれている地域です。
なぜこんなにもブランクがあいたのか。わたしはなにを避けてきたのか。今回の旅で整理できました。
7年の自問自答があって、尊敬する人との再会や新たな出会いを経験して、自分が大切にしたいと思っていることが明確になりました。わたしは二次情報と三次情報の交流世界に近づきたくなかったのでした。


タイトルも含め、ここまでに以下の4つの言葉を使いました。

  • ゼロ次情報
  • 一次情報
  • 二次情報
  • 三次情報

一次情報と二次情報については、インターネットで検索すれば出てくるメディア関連用語ですが、直接見聞き・経験した情報が一次情報。ニュースやうわさ話、メディアを見聞きして仕入れた情報が二次情報です。うわさのまとめや無責任な吹聴、情報源を自分で確認しないまま進められる話は三次情報。


少し前に、こんなことを書きました。

インド旅行者特有のなにかに対して、わたしは避けたいという感情を持っている。それを自覚しながら書きました。
旅先では生活の二次情報がとても有益だけど(あそこへ行くとパパイヤが安いとか)、人間関係の二次情報・三次情報はそれとは関係のないもの。できれば知りたくない情報であっても、生活情報に人間関係の情報がくっついてくる。事情通を気取りたい人との交流は、わたしにはとてもしんどい時間です。インドはわたしにとって、そういう場所でもあるのです。

 

 

── 話は少し変わります。ここからは持論と経験談です。
ゼロ次情報というのは、一般的にそのような言葉はありません。これはわたしの考えで、深く自分の中に潜って掘り当てないと言語化できないものをそう言うことにしています。誰かに話を聞かせてもらっているときに、これはゼロ次情報に近いと感じることがあって、それは対話や読書会などで起こります。

個人の経験談としては一次情報なのだけど、それをいまも自分が保持している記憶の粘着力のありようを掘り当てた人の言葉に触れたとき、ゼロ次情報を共有できたと感じます。「自分自身について、こうじゃないかと推察している」という情報。
これを引き出すために人は小説やフィクションを読むのではないかと、近ごろそんなふうに考えるようになっています。

 

 

そんな葛藤が10年近くあったのですが、40代の半ばになってリシケーシュへ再び行ってみたら少し状況が変わっていました。
年齢を重ね、場をみずから創造・運用する経験をする人が同世代の中に増えたことによって「二次情報・三次情報は取り扱い注意」という感覚を理解してくれる人が増えていました。
そしてゼロ次情報と一次情報に寄っていこうとする数名との深い触れ合いが、これまでにない悦びとして身体レベルでわたしの胸を開かせてくれました。
ヨーガでもサーンキヤでもほかの六派哲学でも、インド思想の教典には序盤で「正しい知識とは」という定義が書かれています。

 

経済成長とヨガTTビジネス

いまインドは高度経済成長中で、リシケーシュという場所はヨガの聖地としてティーチャー・トレーニング(TT)で高い単価の支払える生徒を取り合う場所になっている。小さな町の中でこれまでにない経済格差が生まれ、あいつにできたなら俺もとばかりにビジネスチャンスを狙って道場(シャラ)を開く人が増える。そんな流れがあるようです。これは宿の近所の人と話してわたしが感じたことです。
その兆し自体は7年前の時点で見えていました。なので今回はもう以前のようにふらっと行って以前と同じ先生の元で練習をするなんてことはできないだろうと思って行きました。

 

実際どうであったかは、これから多少オブラートに包みながら書いていくことになります。新たな経験と出会いもありました。すばらしい先生がたくさん居る場所であることは今も変わらない。
いっぽうで、道端で何度か挨拶をして顔見知りになっただけの、習ったこともないヨガの先生から「ぼく日本にヨガを教えに行ってあげてもいいよ。君と売り上げを50%シェアしてもいいよ」と話しかけられる、そんなこともありました。「この人、誰?」と困惑していると「ん? ぼくが100%でいいってことかな? ハハハ」と笑う。そのハハハの間に、わたしは「一万円札を振ってタクシーを停めてた人がいた時代って、こういう勢いだったのかな…」なんて、なぜかタクシー運転手の気分になっていました。

 


こんなふうに経済の流れがアップダウンして、インドでそのアップの状況を見ることができたのはとても貴重な経験でした。
そして一次情報とゼロ次情報に近い側の発し手であろうとしている人は、そんな状況でも確実にいる。まだまだ出会える。それがわかったのも大きな収穫でした。
感度あげてこ! と思いながら帰ってきました。

 

f:id:uchikoyoga:20190510225903j:plain

ガンジス河にかかる橋にギロッポンを感じたホーリナイそしてパーリナイ。