この伝達方法・連絡手段だよねこれからは。わたしの周囲はみんなそうだし…、という流れで取り入れている手段の奴隷にいつのまにかなっていく、そんな気がする瞬間にどんなことを考えますか? いま40代以上の人は、メールの登場くらいまでがすごく楽しかったな…、なんて思ったりしませんか?
わたしはお花のアイコンのICQ、ピンクの熊のポストペット、足あとが可視化されたmixiのようなつながりの興奮を超えるものはもうないだろうという感覚がだいぶ前からあって、なのでFacebookはほとんどメッセンジャーアプリしか使っていません。マメに告知する案件がないとそんなに書くこともなくて。
コミュニケーション手段の技術革新は過去にもあって、さかのぼれば文字を使うことからしてそうだった。この本はそこまで掘り下げ、中盤からとても面白い展開になります。そして手段が問題なのではないのだということを、ゆっくりゆっくり紐解いていく。この過程に「そうだよなぁ」と思うことがたくさんあります。
膨大なつながりをうまくさばこうとすると、とにかく手間隙がかかる。(序章)
「膨大」と「うまく」は両立がむずかしい。わたしは後者を優先すると決めるのがかなり早かったのですが、それは「膨大」と「うまく」を両立させるには差別感情や区別感情を心に定住させる必要があると感じたから。この葛藤はまさに以下の指摘とよく似ています。
中毒などの害をおよぼしかねない製品を扱う業界では、こうした例は日常茶飯事である。酒類業界はアルコール依存症にはっきり「ノー」を突きつけ、公共広告でもそれを明言しているが、その一方では莫大な広告費を投じてわたしたちに飲酒を勧める。
(第4章 なぜ「メール禁止デー」はうまくいかないか より)
著者はこの点について同じ章で以下のように述べており、いっきに信用したくなりました。
人間の内面に関わる問題に外面的な答えを見つけようとしている。
この観点で掘り下げていくその後の章はとてもユニークな構成です。
「適度につながらない」ための知恵というテーマでくくられている第5章~第11章がすごくおもしろい。7賢人に学ぶという構成で各章ごとにひとりの賢人を取り上げています。半分以上知らない人だったのですが、とくにヘンリー・デイヴィッド・ソローという人物の思想が強く印象に残っています。第9章でベンジャミン・フランクリンの十三の美徳とあわせて紹介される以下の内容もとても印象に残っています。
「自制をうまく働かすには、まずは心のなかでその必要性を納得する必要がある」とフランクリンは主張していたわけだ。衝動に負けるよりも、それをねじ伏せたほうが得るものは大きいと、理解しなくてはいけないのである。
(第9章 フランクリンの「前向きな儀式」より)
この章の結びで著者が提案してくる以下のフレーズが、この本に共感するわたしの日々の実感でもある。
十八世紀からこのかた、人間の本質はさしてかわっていない。まずは自分の内面を見つめ、ポジティブな要素を探り当てよう。そうすればおのずと、どんな儀式に従えばよいかがわかってくるはずだ。
どんな儀式に従うかについて考えることは面倒だけど、たまに棚卸しをしないと突然ものすごい空虚感に襲われる。わたしにはそんな実感があります。
この突然やってくるものすごい空虚感に備えて、人前ではつながっていない "考えている仲間" を確保しておく。これはわたしのここ数年の生活テーマでもあったので、さまざまな思いの再確認ができました。