うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

日本の腰痛 誤診確率80% 北原雅樹 著

こういう本はタイトルであおるのが定型のようになっているけれど、この本はおもしろかった。タイトルに込められた「誤診」の意味はたくさんあって、なかでもわたしが共感したのは「骨だけじゃなくて筋肉の問題でもある。レントゲンを一神教のように崇拝してもしょうがない」「職場での出世=ゼネラリスト的仕事×人間性とふるまい、というのが是である会社組織ではスペシャリスト気質の人がつらくなる」という主旨の背景分析が含まれているところ。巻末に腰痛に関係する筋肉のマップが付いています。
本文はかなりメンタルにリアルに切り込んでいて、届くべき人こそ認めない・最後まで読まないであろう内容。いくつか「これ実際現場ではなかなか納得してもらえないんだろうな…」と、自分の記憶も引き出されるものがありました。とくにここ!

文化が痛みをつくり出す例としては、肩こりが代表例だと思います。
肩こりは日本以外の国にはほぼありません。
肩の痛みが存在しないのではありません。日本語の肩と英語の shoulder では、意味する範囲が違っています。また、「こり」という概念も異なります。

 

shoulder stiffness
frozen stiffness
肩こり
五十肩

 

などなど、いろいろな表現があります。
(第一章 痛いのはどこですか? 肩こりはどこの痛みなのか? より)

 英語で話すとだいたい stiff なのに日本語は「四十肩」のようなワードが用語として独自のポジションを確立してる。言葉というのは共通する認識から生まれるものだけれど、まだそこまで意識がないのに所属しにいくような使いかたは、40代でツルみたいのかな、淋しいのかなと思ってしまう。越後屋って呼ばれてみたくてズルをする人はいないけど、四十肩クラブなら入ってもいいかなというような。わたしはその種の言葉を使うとポジティブな場に誘われる機会が減るので言わないほうが得と考えるのだけど。

 


この先生は「痛み」を専門とされているので、分解のしかたも興味深いです。

その人の痛みはその人の不安や悲しみと非常に強く結びついています。怒りの原因にもなるでしょう。分けて考えることはできません。

 

 うらみ(恨み)
 つらみ(辛み)
 そねみ(嫉み)

 

この三つの「み」が三位一体になってこじれた痛「み」を引き起こしているとも言えます。
(第五章 本当にイタい日本の痛み事情 痛「み」と三つの「み」 より)

 わたしは怒りの根源は「さみしみ(淋しみ)」と思っているのだけど、「あ、いまわたし、さみしいんだ」と思うと対応策を考えやすく、排他的でなくいられます。そういう考えにたどり着くまで15年くらいかかりました。こういう分解の過程で漠然と痛んでる人ってすごく多いと思うのだけど、恨みも辛みも嫉みも、結局のところ Pay attention meeeee!!!!! なんじゃないかな。

 


この本はインターネットの時代になって自分の欲しい情報しか取りに行かない傾向についても「診断名という呪い(三) 悲劇のヒーロー、ヒロイン志望ですか?」という章で触れています。ここはほんとうに大きなマーケットなので、決めつけ調のビジネスはずっとなくならないだろうなと思います。この本のなかでも「奇跡の治療法」の情報しか受け入れなくなると指摘されています。
そして治るか治らないかの鍵について、それ! と思うことをきっぱり書かれていました。生活習慣の改善の中に、以下も同時にあると。

  1. やりたいことがあるか
  2. 将来を考えることができるか

第三章でこの点について触れられています。

 

わたしは自分と同世代の人たちは90歳になるまで「もうわたしは老い先短いから」なんて言いながら不摂生を肯定するなんて、そんないまのシニアのようなことはできない、そういう社会のなかで生きていくことになると予測しています。いま世間で広告提案されているような「定年から好きなことを」なんて提案のない社会になることを見据えて、今のうちに自分の「好き」の感覚を観察するようにしています。不摂生も冒険もチャレンジも「老い先短いから」と言える歳まで待たない。体力があるうちに経験しておきたい。
先日、何年も一緒にヨガをしている同世代の人が「わたしは長生きするつもりはないのだけど、しちゃうと思うんですよね」と話されていて、ああだからわたしたちはこうやって一緒にあんなポーズやこんなポーズをとっているのだなと思ったばかり。どうせ死ぬしというモードでふて腐れないことは、すごく大切なことだと思います。だってみんな死ぬし。だったらふて腐れていない人と一緒に活動したい。


わたしは過去に、ジャンプバックで足の指を突き指した瞬間に腰の骨の痛みを感じたことがあります。それをきっかけに、右と左の足の人差し指の長さが全然違うことに気がつきました。以来、腰とつながるさまざまなことを観察しています。

こんなふうにミリ単位で細かく見ていくと、自分という肉体をちっとも乗りこなせていない、肉体の仕様を把握しきれていないことを思い知らされます。いつからか身体とはそういうふうに付き合うものだと考えるようになりました。なので身体の中についても内臓とどこかの部位がぶつかったり癒着したりしているのだろうなというふうに考えて観察しています。
「奇跡の治療法」を探し求める人となるべく関わらないようにしているわたしにとって、この本はすごく興味深い内容でした。長生きするつもりはなくても、しちゃうかも~。と思って生きている人が読むとおもしろい本ですが、届くべき層はそこではないのでこういう本を出すのってカルマ・ヨーガだなとつくづく思います。

この本の末尾に小さく、ひとことでいうと「これ読んでわたしに全力で寄りかかってこようとしないでね電話が来ても受けないよ」みたいなエクスキューズ(患者個人からは受け付けていない。医師からの紹介状が必要)があるのもじわじわきます。もう壺とか売っちゃえばいいのに。