うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

すでにある力を出すことを思い出すための練習DAYS

インドから戻って間もなくの頃は体重は増えたのに服がぶかぶかになっていたりして、けっこうギッチリ締まっていた胴体もすっかり元に戻ってしまいました。
身体的にはそんなこんなでありますが、精神面での振り返りについて。

 

インドでは2週間、夕方にプージャーへ行った日を除いて、朝と夕方にアーサナの練習をしていました。アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨーガのプライマリー・シリーズです。チャンティングの練習はその間に、12時のクラスへ行っていました。



Tattvaa Yogashala の親方のクラスは、4月の最終週の朝だけ入れてもらえることができました。

入れてもらえたのは直近のティーチャー・トレーニング卒業後の生徒さんと親方のアシスタントをされている人向けのマイソール・クラスでした。レッド・クラスは一度だけあって、セカンド・シリーズでした。5月からは次期トレーニング生のファンデーションクラスになるとのことなので、朝ここに通ったのは4月の間だけ。5月の朝はガンジス川沿いの Tattvaa Yogashala 小道場か Aatm Yogashala のラフル先生のところで練習をしていました。


 

夕方はほぼ毎日 Aatm Yogashala のラフル先生のところへ行きました。

ラフル先生は稽古をつけてくれる(ちゃんと詰めてくれる)人で、ときどき今日はやめておこうかなと思ったりするのだけど、それでもやっぱり行きました。

 

 

  すでにある力を出すことを思い出すための練習

 

 

これは数年前から感じていることですが、日常では「まあこのへんでも、悪いというわけではない」(やれるけどがんばらない)という気持ちでいる瞬間が多くなっています。
世の中がマイルドになってきているぶん、そちらへ傾いていく。普段はそれでもいいし、むしろ同じことを他者に要求しないように気をつけなければいけないのだけど、「火事場の馬鹿力みたいなのは、火事の初期段階から出せたほうがいいよな」という考えもある。


そのために「今この瞬間、さっとやる」というのを詰めてくれる人と過ごせる時間はとても貴重で、お尻の皮がむけるほど長いナヴァーサナをしても(それが翌日行くのを迷う理由になっても)、思い出すたびにニヤニヤする思い出になっています。わたしには自分を満たすための、こういうベスト・キッドみたいな時間がありがたい。


そう思わせてくれるくらい、親方もラフルさんも「やるなら、やれ。やりはじめたらサポートするし」というバッチコーイ感がよかった。生徒が動かなければ動かないけど、動いたらめっちゃ動く。バッチコーイ感って、ほかになんか言いかたはないものだろうか。「包容力」といえるほど無条件なものじゃないし、「打てば響く」だと主語が逆転した感じがする。
やっぱり、バッチコーイ感だ。こんなの野球やってない人わかるんじゃろかと思ったら、インターネットってすごいのね。
以下、Weblioより

バッチ来い
読み方:バッチこい
別表記:バッチコイ、ばっち来い、ばっちこい、バッチコーイ

準備が整っており、いつでも来てよいという意味で用いられている表現。本来は、主に少年野球や中学野球、高校野球などにおいて、野手が打者を煽る際に用いられる掛け声で、「バッター打って来い」を縮めたものだといわれる。

Weblioのバッチコーイっぷりもすごい。

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