うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

孤独な娘 ナサニエル・ウェスト 著 /丸谷才一(翻訳)


『おちこんだりもしたけれど、私はげんきです』だなんて、さすが。糸井重里さんのコピーはちがうなぁ。わかっていらっしゃる。
『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』とは、ずばり。秋元康さんは、みんなこういうので胸アツになりたいんでしょ、という構図を外さない。
発行部数をふやすのが目当てなら、こんなふうに「頑張っている、孤独な娘」の設定が有効だもんね、うんうん。


この小説の主人公は、上司が「発行部数をふやすのが目当ての欄なんだ」と言う新聞の中の一部のコーナー担当を引き受けます。「孤独な娘」(ミス・ロンリーハーツ)として、人生相談の手紙に返信を書くお仕事。主人公は男性です。今で言ったら、ネカマ
この男性は "慈悲" を業務として発動させ、少女コーティングでお出しする義務を果たしながら、着実に病んでいきます。少女じゃないのに、傷つきながら、夢を見る。こりゃ大変だ…。
そして、そんな設定のミス・ロンリーハーツへ寄せられてくるお手紙の文面が、いちいちすごい。言いたいことがあふれた人特有の、句読点と改行感覚の消失した文章はまるでラップのリズム。いっぽうで、まるで絵本に添えられた文章のような逆の文体もある。句読点と改行の頻発する文章。これはこれで疲れる。そりゃ読んでるだけで病むわ!
そして病ませる手紙の特徴を表現した日本語訳もすばらしい。ネット文体なんてものがない時代に訳された本で、この感じを出しているのがすごい。


・・・と、ここまでの設定は、もういきなりオープンなんです。本題は、その後から始まります。
そのあとは…
まるでデヴィッド・フィンチャー監督(ゴーン・ガールとかセブンとか)や、レオス・カラックス監督(汚れた血とかポンヌフの恋人とか)の映画作品のような映像が脳内で広がる展開。完全にモノクロではない、でも、全部がカラーでもない。いいことをしているはずなのに、他人を癒やす感謝される仕事をしているはずなのに、おかしいじゃないの! どうなってるのよ!!! という思いをなだめる思考って、脳内で映像化すると、きっとこうなんだ。
この主人公の病みかたはキリスト・コンプレックスなのだそう。わたしは読みながら「こういう方向のキャラ設定がエスカレートしていくヨガ講師って、いるよなぁ。不幸からの立ち直りマーケティングがやめられなくなってしまうパターン…」なんて思いがちらりと浮かんだのだけど、この主人公の心の変化は、慈悲の発動がお約束化されるとこうなるという警告的見本でもある。
この主人公も、あれこれ、してみるんですよ。森へ行ってみたり、体を動かして "くらしのこと" をしてみたり。してみるの。でも、手遅れなの。


この小説は設定の面白さだけで読み始めたのだけど、読み始めたら止まらない。いきなり、目次がいい。目次からして仕掛けられている。他人から全力で寄りかかられることで自暴自棄になりかけたことのある人は、どきどきしながら読むことを止められなくなるでしょう。
心の底のことが書いてある小説です。