子どもの年齢である子どもが身内の大人に忖度しなければいけない現実を描かせたら、わたしのなかでは作家の橋田壽賀子さんと、映画の是枝裕和監督と、そしてこのエーリヒ・ケストナーさんが三強。もうこれは鉄板。
そしてなんとこの時代(1935年)に、ケストナーさんはすでにセルフカバー&メディアミックスをやり遂げている。これはおみごと。
後半の展開がうますぎて、何回泣かせるんじゃい! という気持ちになりつつ、前作よりも成長したティーンの主人公たちが「もう子どもじゃないから、そこは黙っておく」という判断を覚えていく過程には、厳しいなぁという気持ちが起こります。
少年たちの自立の気配の匂わせかたも絶妙で、意志を持って目標達成のためにエゴを捨てようと働きかける場面は、過去の経験とプライドでガチガチになってしまった大人に喝を入れてくれる。
そりゃあ、ぼくたちの趣味じゃないし、ほんとはそんなことしたくないよ。でも、せっぱつまってるんだ、なんでもやろうよ。
(13 緊急援助 より)
ケストナー作品は、こういうちょっとしたところに勇気づけられるのがいい。
森に出かけているときは楽しかったのに、植物の本を手にした途端に冷めてしまう6章の少年のセリフも最高です。
「印刷してあるものって、なんか、イライラするんだよなあ」
シラケる、という感情の伝えかたがド直球。
終盤の以下の説法は、わたしには残酷に響きました。
「自分はすすんで大きな犠牲をはらっているのに、それはおくびにも出さないで、ひとの犠牲をありがたく受け入れるのは、簡単なことではないわ。そんなこと、だあれも知らないし、だあれもほめてくれない。でも、いつかはきっと、そのおかげで相手はしあわせになる。それが、たったひとつのごほうびだわね」
(14 大事な話 より)
なかなかできないことをするには無償の愛がなければできない、ということなのだと思うけれど、これは言われる側がどんな立場の人間であっても、かなりきつい。
ここはもっと他の言い方ってないものだろうか、あったとしたらやはりそれは神が人間を導くような設定にするしかないのだろうか、と思いながら読みました。
少女が着飾って他人からよく見られたいと思う気持ちへの釘の差しかたも、小学生の女の子がYoutubeでメイク動画をアップする今の時代感覚で読むと、かなり厳しく見えます。
でもそういう「世間の厳しい目」を物語を通して知っておくことで、悪目立ちすることによるトラブル回避の勉強になったりもする。この部分を読んだときは、ドイツと日本て似てるのかな、なんて思ったりして。
ケストナーの本は毎回設定の仕掛けがおもしろく、この物語は『エーミールと探偵たち』の続編だけど単体でも読めるようになっていて、前書きも前作を読んでいない人向け・読んだ人向けに書き分けられています。
それでもやっぱり、先に読んでからのほうが終盤は断然おもしろい。
ものすごくやさしくて、でも複雑な気持ちにさせてくれるのはいつものこと。早く大人にならなければいけない状況に置かれる子どもは、いつの世も一定数存在する。
毎回思うのだけど、児童文学の皮を被った大人向けの本という感じがする。