先日、久しぶりにリアルで会えた友人と何時間も話をしました。
友人はわたしのブログを海外で読んでくれていて、たくさん本を読んでいるねとわたしに言うのだけど、どす黒い感情を代弁してくれていると感じる本はすぐに読み終えてしまうから、それも含めた ”たくさん” は、たくさんじゃないという話をしました。
この著者の本は「ほーら、みなさんが気になっているあのテーマですよ!」という調子ではなく、静かに激しく淡々と進みます。だけど、読み出したら止められない。
日常の苦しさがそのままそこにある。不穏さの予告もなにもなく、苦しいのがくる。
「ほーら、みなさんが気になっているあのテーマですよ!」と、ここ数年多くなっているフェミニズムや毒親本のような調子で機能不全家族について書かれると興ざめするのだけど、そうならなかった。そこがよかった。
『兄の終い』を読んで知っていたこともあったけれど、この『家族』は読んでみたら想像以上。同時になつかしさが何度も浮き上がってきました。
「家」という箱は小さすぎて、ブラックな会社のよう。そしてそれが平常運用になることもある。組織体だから。
感情を言語化できない兄と、言語化に長けた妹(著者)と、自分の思考をつかまえられない母と、疑い深い父。
この4人の組み合わせで起こることを見ていくと、5回に1回くらいの割合で自分の経験記憶にそっと触れるものがある。
ひとりひとりの肉体は生きていても、連結機能が失われて二度と全てのパーツが揃うことのない家族と家庭。
サザエさんって、組織体として超理想的な幻のホワイト企業みたいなものなんだよな……なんてことは普段はいちいち考えたりしないけれど、この本を読むと、そう思う。