うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

心のなかで起こる、視覚に似た「おいてけぼり」の感覚のこと


少しまえに「出会いに別れに、桜が咲いたりするけれど。わたしひとりだけ、ついていけてないと感じることもあるけれど。
というのを書いたら、ヨガクラスで会った人から「そうなんですよね…、こんなときこそ、コツコツと。なんですよね」と言われました。
わたしはこの時期(年度末の別れと出会いの季節)になると、ここ数年思うことがあって、
それは、


 この時期に起こる心のはたらきは
 自分がガソリンスタンドの洗車マシーンの中にいて
 洗車マシーンだけが前に進んでいくときの感覚と似ている


ということ。
自分は自分の場所でしっかりやっていればいいのだけど、あいさつや儀式もあって、なかなかそうも言っていられない。
相対的に「残されたもの」のように感じる。自分がとくだんネガティブな状態というわけではなくても、心の中でこの洗車マシーン現象のようなことが起きていて、心が「およよ」となっている。
こういう「およよ」は時間がたてばなくなるとわかっているのだけど、そこに鈍性や激性が紐づいてしまう。



 およよ=風



鈍性に風が吹くと、どんどん固まっていくように感じ、
激性に風が吹くと 、火が風にあおられた状態のように感じます。


8年前に「心の火事は、誰が消す?」という、インド人の先生からの問いについて書いたことがありますが、まさにこの時期にはこういうことが起こりやすい。
なので、風にほかの性質(自分の気質)が紐づかないように、慎重になる必要があります。
環境はおいそれと変えることができないから、やはりそれは自分の中でやるしかないのだけど、日常レベルでわたしは毎日「乱れたら負け」みたいな感覚で暮らしています。
もちろん勝ち負けの相手は、自分自身の気質。空気を読むとか道徳的な対処というよりも、自分自身とのコミュニケーション。
自分自身を見捨てるような気持ちにならないように、腐らせないように。この季節は、いつもそんなことを思います。