現代人が当たり前のように車に乗ったりスキーを楽しんだりするのは医学で治してもらえると思っているから、と言うことが書かれている8章のあたりから、本題きたぞ…という感じで、やはりいちばん食い入るように読んだのは「あふれる情報に左右されないために」という題の9章でした。
ウェブの仕事で数字を追いかけると、構造上なんともいえぬ罪悪感を背負うことになる性質のことはあれこれあるのだけど、煎じ詰めるとやっぱりここなのです。
ネットを使えば、たいていのことがすぐにわかる。そう思っている人もいるでしょう。でも、その「すぐにわかる」点こそが、ネットの問題点です。
なにか知りたいことが出てくる。それを入力して「検索」とクリックすれば、かなりの確率で「答え」が出る。
何が問題か。それは数学を教わるのと同じようなものだからです。基本的に数字は教わってはいけない学問です。歴史などは、すでに事実とされている知識をおぼえていかないと、話が進みません。ふつうの人が、自ら史実をいちいち掘り起こす必要はない。
数学の場合は事情が異なります。問題の解き方や答えを丁寧に教わると、かえって力がつきません。応用問題ができなくなるからです。
(第9章 あふれる情報に左右されないために「情報過多の問題」より)
「私はこう思っていたのに」と嘆くが、実はその「こう」は自分が勝手にメタメッセージを取り込んで、考える前提にしていただけ、ということもあるのではないでしょうか。
個々のメッセージ(記事)は、単なるデータに過ぎないものが多い。しかし、それが膨大な量になってきたときに、受け手側は勝手に別のメッセージを取り入れてしまうのです。暗黙の前提にしてしまう。
(第9章 あふれる情報に左右されないために「生きていることは危ないこと」より)
この本でメタメッセージとは
そのメッセージ自体が直接示してはいないけれども、結果的に受け手に伝わってしまうメッセージのことを指します。
と説明されているのですが、その問題のありどころも以下のように示されています。
問題は、メタメッセージというものは、受け取る側が自分の頭でつくってしまうという点です。自分の頭の中でつくったものですから、「これは俺の意見だ」と思ってしまう。無意識のうちにすりかわってしまうのです。これが、とても危ない。
これは心あたりもあるし、ほんとうに怖い。
この本では、自然に触れることと対人関係をリアルに持つことの重要さが語られています。
わたしは近ごろ友人との会話のほとんどが「ニュースの見かたの話」なのですが、友人でなくてもこういうことを対面で話せる人がいるというのは、とても重要な気がしてきました。
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