うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

その肩書きが欲しい人が多いこと×儒教テイストの資本主義という状況をありのままに見てみれば

昨年世の中の一部で騒がれたウェブのキュレーションメディアのあれこれを思いなおすと、そのあれこれはヨガ業界でも見る構造で、まったくあれがこれ。


「たまにウェブメディアのライターとかもやってます」

「たまにヨガのインストラクターとかもやってます」



 たまに  ←この感じや

 とかも  ←この感じ。



こういう「感じ」の人が多い状況を労働力と見込む流れは、はじまるとどんどん連なる。「赤信号、みんなで渡ればダイジョブっしょー」となっている光景は、お店にものすごく行列ができていても平気な人が増えていく感じとなんとなく似て見える。並ぶ人がいるから、ありな感じになってしまう。
わたしのところへ、まるでOG訪問のように「ヨガの活動の話を聞きたい」と言って、年下の女性が連絡をしてくることがレアケースとしてあるのですが、こういうときにわたしがフリーズしてしまうのは、根っこの部分でこのようなひっかかりがあるためです。


 「たまに」 ←というフレーズや

 「とかも」 ←というフレーズ



これらをそぎ落としたときに何かが残る人は、すでにキラリと光るものがあるので、「やればいいじゃない」しか言うことがない。

  • 1記事3000円。案件単位のお仕事。3時間かかったら時給1000円の計算。
  • 1クラス3000円。クラス単位のお仕事。交通費は自己負担。拘束時間はクラスの前後30分を含む。(暗黙で)SNS対応やプライベートの切り売りを含む。交通費が往復1000円なら60分クラスで時給1000円の計算。

前者はキュレーションメディアのライターの一例、後者はヨガインストラクターの一例。(ざっくり計算のための架空の設定です)
この概算でいくと、後者は片道500円程度の交通費で60分未満のクラスでなければ、東京都の最低賃金(時間額)を下回る計算になります。インスタもツイッターもブログもLINEもまるで呼吸をするようにやれる前提で歩合制を導入すれば、ブラックだとささやかれても事業者側は「やりたいという意志は本人のもの」というスタンスを貫くことができます。


「なりたい人」の多い仕事を日本らしい資本主義の視点で見てみれば、「サービス残業」「プライベートの切り売り」の渦巻く崖がすぐそこにある。市場原理というのはまったく残酷かつ夢もあり、事業をする側にとっては好都合も不都合もあって、双方の「好都合」の落としどころはむずかしいものですね。
ヨガの大手チェーンを見ていると、物販をうまく組み合わせてやっていて、インストラクターを買い叩こうとするよりもずっと健全な運用だなぁと感じます。なんというか、平衡をうまく取ろうとする過程として、ちゃんと模索してるなぁ…、と。
わたしの目にはそんなふうに映ります。