うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

どうしよう 壇蜜 著


今年は壇蜜さんに励まされながらがんばれた一年であったように思う。この本はトピックごとの文字数が多く、50編が収められています。
あのキャラクター設定でテレビに出ていながら、書籍のほうでこのスタンスを貫けているのはものすごいバランス感覚。文章を読む人を圧倒的に信じているのがよくわかる。

わたしが先日映画の「何者」を観た影響もあるけれど、人間関係の「そういう感じ」をよくこの短い文字数でさらりと終わらせるものだとうなる文章がありました。女子高時代を振り返って語る、この部分。

やたらと聞いてくる子は、答えてくれる子たちに対して「仲間」を感じていたかったのかもしれない。答えの内容より、「自分に答えてくれる」という周囲の態度で自分の不安を埋めたかったように思える。
(「大丈夫は不安」より)

「仲間」を感じる瞬間をマネタイズすることが主流となりつつある業界に身を置くわたしとしては、すばらしい分析にうなずくしかない。


労働観が、相変わらずすてき。

「土俵変え」に意気地無しと罵る者もいた。しかし、「意気地無し」と発した者は私の稼ぎを保証しない。言いたいだけの者こそ意気地無しなのだ。
(「うまく言えない」より)


仕事がらみの動揺を早めに退治するために、私はいつも心に小銭入れを忍ばせている。仕事で焦ったらその心の小銭入れをチャリチャリと振る。小銭の音は「現実」の音。仕事をすれば銭が入ると再認識すると、身がしまるものだ。
(「小銭の音」より)

壇蜜さんの文章を読もうと思ったきっかけは『壇蜜×西原理恵子の銭ゲバ問答「幸せはカネで買えるか」』を読んでから。そら、おもしろいわけなんですよね。



壇蜜日記3の宣伝で語られていた「定価で買ってくれる人が好き」というフレーズはその流れを読んで以来いつもわたしの励みになっていて、ああそうか、わたしはこういうことが嫌だったのだと気づかせてくれる。

彼らは口をそろえてこう言う。「一緒にいる時間を無駄にしたくなかった」と。当時の私には、それが愛情表現の表れよりも「元をとるまでしがみつくビユッフェ利用者」にしか見えなかった。
(「眠くて仕方ない」より)

これは、過去に別れた男性のことを振り返っての部分。恋愛に限らず、こういうことってあるなぁと思う。ビジネス系のセミナーのあとにもれなくセットされている懇親会(=名刺交換や人脈幻想をカタチに残したい人たちのツーショット写真撮影)を想起した。


まったく別のことを想起させてくれる文章は、それだけ普遍的なドロリとしたものに迫っているからではないか。
女性しか読んではいけない袋とじお仕事エッセイとか、出ないかなぁ。その袋を開けたい。きっとわくわくする。


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