うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

師走と聞くと「刺激をむさぼらず、変化に対応し、淋しみを乗り越えよう」と思うようになった

まさか12月にこんなふうに自分にブレーキとアクセルのコントロールを課すようになるだなんて、「ウェーイ!」という声が聞こえてくるような環境にいた若かりし頃は、想像もしていませんでした。
友人知人が少なくても、なんだかやることが多く感じる12月。わたしはいまは以前よりも自分のタスクを自分で決めてコントロールしやすい仕事のしかたになっているけど、それでも世の中がいったん年末で締まるムードなので、多少の影響は受けます。


「やることが多い」というのはとても抽象的なイメージで、そこに「師走」なんて昔の表現が重なると、イメージに拍車がかかる。
西洋の信仰にまつわる催しはビジュアルの力があるから、反応してないほうが異常かのように見えたりして、こういうのを幻影とかマーヤーとかいうのでしょう? インド人は。なんて思ってみたり。


さて。わたしはいまは以前よりも「帰属意識を満たしてくれるゆるやかな誓約と結びついた会合」に縁がないかわりに、不安症の人にはかなりきついワークスタイルらしいです。そしてそこに身を置いてみることで、人には「なんとなく淋しい」という感情があることを知りました。そしてそれはどうやって乗り越えたらよいのか、考えるようになりました。



 感情のタスクの整理ができていない



やることやイベントの多さで混乱しているのかと思いきや、心の中で起こっていたことは「楽しみなのか面倒なのか、わからない」という混乱。
わたしは今年の TO DO を11月に寄せてひとあし先に師走気分を終わらせ、「暦の刺激」のようなものを観察しています。



 先の心配を、わざわざつかまえないで



これは、スーリヤ・ナマスカーラBで思わず「気にしている先の挙動」を行う人にかける言葉ですが、12月というのは日々全体が少しこういう感じになるのが、自分でもよくわかる。
刺激で混乱して、「先の心配をしておこう」みたいな思考がはたらくことって、あるんですよね。これもなにかの防衛本能なのかな。
競馬で「かかっている」という状態の馬を見ると、「ユーは、わたしか」と思う。ちょっと「かかり気味」の人は、余剰エネルギーを燃やしながらなんとか自分の中の「かかり馬」を乗りこなしていきましょう。
あなたは馬ではなく、騎手です。