うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

久々の均整法。わきの下の奥スイッチぽち! で首の後ろのコリを溶かすの巻(東京・池袋)


ピークは先週だったのだけど、首の後ろのつまりがすごかったので池袋でまた調整を受けてきました。
今回はわりと明確に「ここに何かがいる」みたいな感じで溶かしたいポイントが決まっていたので、最後が楽しかった。
池袋の「身体均整師会付属研修センター」はふだんは学校で、月曜と水曜だけ施術を受けることができ、施術は受講生の人が行います。その人に師匠がついて、その師匠が最後にチェックや補正をします。



わたしは表面上やわらかく反応はよいらしいのですが、術中のレスポンスが施術者につかみにくいことがあるようです。施術者が「ここは、痛いですか?」みたいな確認のしかたをし、わたしの口頭での応答によって少しチューニングを続けたのですが、タイムオーバー
わたしのような「表面上やわらかい」という場合だと反応の察知で差が出るようで、「うーん。まだちょっと残ってる」みたいな状況で終わったのを、この日の師匠役のかたがとどめを刺すように溶かしてくださいました。


感覚的に目で見るようにわかるその「コリのタネ」の移動をわたしも見逃せず、

「どうですか」
「いま、ここに移動した残党が少し残っております」
「ふむ。ではここで調整しましょう。ポチ」(←押してる)
「消えましたー」

というやりとりをして、終了。
いっけん「なにもない」ところにそれを探り当てるのは経験でしょうか。
それだけでもない気がします。たぶん「待つことができている」のだと思います。「反応の存在を信じてる」というほうが正しいかもしれません。
「痛み」というのは変化に対して起こる感情に紐づくワードなので、身体の細かな変化の観察に慣れていたり「そりゃ変化するだろ」みたいな考え方の人間には起こりにくい感情です。わたしのような場合は特にそうです。
なので「痛いですか?」と聞かれて、「なんか動いた」という感じの、痛みよりもかゆみに近いような感覚をその回答に含めていいのか、迷っているうちに施術者が次のポイントへアクションを移してしまうと、「なかったこと」になってしまう。こういうことって、ヨガの練習の場面でもあるんですよね…。


今回は施術を受けながら「仙骨とカカトと足の甲の動き」の話をし

(足首の調整を行いながら)
「こっちも、こっちも、よく動きますねぇ」
「あー。でもこっちのこれは、やりにくそうにする生徒さんがけっこう多い動きです」
「2番のところに力が集中しちゃうと、そうなんですよね…」


などと、細かすぎる雑談をしたのが楽しかったです。
夏に腰痛で困っていらしたハノイのヨギーニさんが「もっと早く行けばよかった」とおっしゃっていたので、腰でお悩みのかたにもよい模様。
身体均整法はその昔、亀井進さんというかたが身体の反応の法則を施術方法にまで昇華させた技術で、たいへんロジカルというか、ほんとよくこれだけ体系立てたものだ! という手技です。身体の観かたの言語のようなもので「JavaScriptで書いてる」みたいな感じで「均整で分解してる」というような、そういうもの。
池袋に限らず全国で受けることができますよ。


▼わたしが行った池袋はこちら


▼平日は行けないという人や女性には、高円寺のここをおすすめしています

わたしの知人で均整に行ってみたいという人はヨガ指導者やセラピストが多く、施術者がおしゃべりだと話の相づちを打っているうちに仕事モードに戻ってしまってくつろげないという人がいるので、ここをおすすめしています。


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