この本は前半でインド思想の歴史がわかりやすくまとめられ、中盤はシャンカラの思想を紐解いています。
思想を紐解くといっても
シャンカラには独立作品は一つしかなく、たいてい彼は、権威ある作品に対する註釈という形で思想を表現しているのだが、その註釈の中で、伝統的な解釈と自らの解釈とをこの二つの次元を使い分けながら、矛盾なく調和的に提示するという手法を取るのである。従って、この二つの次元をまず区別しておかないと、シャンカラの思想についての理解はとても混乱したものになってしまうことになる。
(102ページ 究極的真理の次元と日常的経験の次元 より)
とこの本にあるように、バシッと捉えらやすい思想表明のしかたをしなかった人物なので、他派の思想との対比で解説して行く形になるのですが、よくこの薄さの本でここまで網羅したなぁ、という内容。インド六派のヴェーダーンタ以外の学派の書物も読んだという人には、すごくわかりやすいまとめになっています。
そしてこの本は、最後が驚きの展開。「シャンカラ的なるものと現代」という章以降は、なんでオウム真理教はああなったのかという解説にもなる内容。わたしは事件の頃まだ学生〜社会人のはじめのころだったので、「どうしてこうなるルーツのようなことを語る人がいないのだろう」と思ったりしていたですが、この本にあるような内容をじっくり説明するにはそれなりの時間も必要だし、メディアは端的な解説を求めるし、無理だっただろうなとも思います。(これについては最後に少し引用紹介します)
シャンカラの思想は読むごとに空海の思想との共通点が浮かび上がってくるのですが、この本を読むことでシャンカラの立場が見えてきました。
彼は、ウパニシャッド主知主義を復活させることによって、その当時すでに仏教化していたウェーダーンタ哲学を、ウパニシャッドの原点へと引き戻そうとした。だがその際、彼は、仏教化していたウェーダーンタ哲学の仏教的要素を単純に排除するというようなことはせずに、取捨選択しながら、その仏教的要素にヴェーダーンタ的性格を与えることによって、自らの体系のなかに包摂していった。
(42ページ ウパニシャッド主知主義の復興 より)
アートマン=ブラフマン以外のものはすべて無明の所産なのである。シャンカラの論議はすべて、結局はここに集約されていく。
(161ページ すべては無明へと還元される より)
(「解脱は無明の滅による」という項のあとで)
すなわち、ウパニシャッドという聖典に基づいて、アートマン=ブラフマンという知識に目覚め、アートマン=ブラフマンを悟ることによって、無明が滅せられ、われわれは生きたまま解脱できるのである。
(175ページ 頓悟と漸悟 より)
日本の仏教とあわせてシャンカラの不二一元論を読む人は、「梵我一如」をシャンカラがどこからもって来ているのかが気になるところかと思うのですが、そこに「復権」の意向があったのだとすればハラオチします。
わたしはギーターの解説者としてのシャンカラの「矛盾をそのまま抱きしめる感じ」が漠然と好きだったですが、その抱きしめかたがこの本では丁寧に解説されていました。
<ギーター註解の序章引用の後>
このようにシャンカラは、まず彼の註釈の序の最初で、ギーターの主題は世俗的繁栄(生失)を直接にもたらす「活動を促すことを特徴とするダルマ」と、至福(解脱)を直接にもたらす「活動を止滅させることを特徴とするダルマ」という二種のダルマであり、この二種のダルマは、バラモンを中心とする世界の秩序を維持するために最高神ヴィシュヌによって教示されたものであることを明らかにしている。
(188ページ 行為の肯定と否定→繁栄と至福 より)
<ギーター4-18〜41と4-42の矛盾に対するシャンカラの註解のポイントを解説した後>
このようにシャンカラは、多少の無理はあえておかしながらでも、「行為の棄却を伴う知識の道が解脱への道であり、それがギーターの主題であり、行為の道は、果報を顧慮せずに主宰神への帰依の気持ちで実践されれば心の浄化を通して知識の道へとつながる、という意味で知識の道への手段である」とする彼のギーター解釈の基本的な枠組みの中で、あくまでギーター解釈を行っていこうとするのである。
(195ページ ギーター第五章の解釈 より)
「バラモンを中心とする世界の秩序を維持するため」であると解釈しつつ、でもそこを否定すると地面がなくなるような感じになることも認識しての、あのスタンスではないかしら。と思えば、その曖昧さも妙な味わいとして沁みてくる。
またこのあと204ページで、シャンカラの「バクティ」に対する註解のスタンスは以下であると整理されています。
わたしはガンジーよりもシャンカラのほうがよっぽどカーストを否定していたよね、と思うのです。
シャンカラ式の無種子三昧説明も、わかりやすい。
われわれは、熟眠状態からもまた夢眠状態からも、再び覚醒状態へと戻ってくる。その意味で、この熟眠状態は、夢眠状態と覚醒状態の「種子」と呼ばれている。この種子が再び芽を出して、われわれが夢眠状態や覚醒状態へと再び戻るということが生じないためには、この種子をアートマンの知識で焼き尽くす必要がある。そして、そのときはじめてわれわれは、第四状態へと到達することができるのである。
この第四状態とは、アートマン=ブラフマンの状態であり、これについては言葉では語りえないものである。
(140ページ 意識の四状態 より)
「シャンカラ式の無種子三昧説明」というのは本文にはなくわたしの書き方でのワードですが、シャンカラの説明ですごくわかりやすいなと思うのはこの「意識の四状態」。この流れの説明だと、サーンキヤを軸足に置くわたしでも「プルシャ=アートマン」とされてもしっくりくる。
シャンカラは冒頭の引用部分にあるとおり、俺のスートラ的なものを書いてバシッと主張してきた人ではないので、ほかの学派への擦り寄りかた・反論の立てかたを見ることでその思想を読み取っていくことになります。この本はその部分での解説がすごくわかりやすくおもしろかったので、いくつか引用紹介します。
まずは、対サーンキヤ学派。
シャンカラは、日常的経験の立場では、未展開の名称と形態を質料因、純粋精神であるブラフマンを動力因とすることで、サーンキヤ哲学のような二元論的展開説に接近した。しかし、究極的真理の立場からは、未展開の名称と形態を無明によってブラフマンに誤って構想されたものとして否定し、真に実在するのはブラフマンのみであるとして、一元論の立場を守っている。
(158ページ 仮現説 より)
日常的経験と究極的真理を分けるとか、ギーターの中でただのプルシャと至高のプルシャを分けるとか、こういうのは慣れないとわからないのだけどこの説明はたいへんわかりやすい。
次、対ミーマーンサー学派。(祭式の執行をダルマとするミーマーンサーに対し)
だがここでシャンカラは、このミーマーンサー学派の図式を完全に逆手に取っている。「すでに存在するもの」(ブラフマン)のほうが、「のちに実現されるもの」(ダルマ)より優れているのだという形で、論理をまったく逆転させているのである。そして、このような逆転の論理を用いることで、ダルマと解脱とが両立し得ない相対立するものであることを示しているのである。
(181ページ ダルマと解脱(逆転の論理) より)
おまえ、さっきまで仲間だと思ってたのに! って感じが、シャンカラのおもしろいところ。
世界は疑いなくわれわれが認識しているような形で実在する。これがニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派の確固たる信念であった。そのことは、後世、ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派で、第七の原理として「無」が立てられ、「無」でさえも存在すると考えられたところに、象徴的に表されている。すなわち彼らは、「机の上に本がない」というのは、「机の上に本の無が存在する」ことだと考えたのである。
他方、不二一元論学派は、これまでもたびたび述べているように、世界は実在しないと考えた。ただその際ここで注目しておきたいのは、世界が実在しないと捉えるときの不二一元論学派の捉えかたがもっぱら、認識主体と認識対象という枠組みの中にあるという点である。すなわち、ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派が、認識の対象である世界は実在すると考えたのとある意味では同じような形で、認識の対象である世界は実在しないことを不二一元論学派は論証しようとするのである。
(90ページ 座標軸三 ─ 実在と非実在 より)
この指摘は鋭いなぁ。「とはいえあなたも認識主体と認識対象という枠組みの中にいらっしゃるわけですが」という感じが。
そしてこの本は、のちの誤謬論にまで触れている。そんなに厚いではないのにこの網羅性。すごいのです。
不二一元論学派で、誤謬論をまとまった形ではじめて扱ったのは、シャンカラと同時代の年長者マンダナ=ミシュラによる『誤謬の識別』である。シャンカラ自身は、まとまった形で誤謬論を述べてはいない。だが、註釈者ヴァーチャスパティ=ミシュラが、『ブラフマ・スートラ註解』への註釈『バーマティー』の中で、先に引用したシャンカラの附託の定義のあとに引き続いて紹介されている他学派の附託の定義との関連で、四種の誤謬論に触れている。すなわち、仏教の経量部と唯識派の誤謬論(認識それ自体を認識しているとする理論)と、仏教の中観派の誤謬論(非存在を認識しているとする理論)と、ニヤーヤ学派の誤謬論(別な形で認識しているとする理論)と、ミーマーンサー学派の誤謬論(相違を認識していないとする理論)である。ただし、これらの四種の誤謬論は、不二一元論派の側から整理された形のものであり、各派の誤謬論をかならずしも正確に紹介しているというわけではない。
(128ページ 四つの誤謬論 より)
これでいうとヨーガ・スートラの1章8節はニヤーヤに近いのかな。サーンキヤ・カーリカーでは誤謬は第47節でちらりと数を数えているだけなので、興味深く読みました。
冒頭で「なんでオウム真理教はああなったのかという解説にもなる内容がある」と書きましたが、この本ではあとがき227ページの「現代日本におけるインド的な悟りや解脱の可能性」という章で、タントラについて以下のように要点を六つに絞って整理されています。
(一)タントラはもともとは、生殖器崇拝やシャーマニズムなど原初的な信仰が、サンスクリット的なバラモンの伝統の中で、洗練され体系化されたものである。
(二)そのため、「狐憑き」(きつねつき)なのか「神懸かり」なのかは、紙一重という危ういところを含んでいる。
(三)そのような危険性は、インド的な宗教的伝統の中では明確に自覚されていた。
(四)たとえば、仏教のタントラ(金剛乗)では、仏教の正当な教義(顕教)を学んだのちでなければ、タントラ(密教)には進めないという形で、タントラの持つ危険性を避けるシステムができあがっていた。
(五)一方、ヒンドゥー教では、タントラは正当な(つまりヴェーダ的・バラモン的・サンスクリット的)ヒンドゥー教の一段も二段も下に位置づけられていた。つまり、正当な宗教的伝統による重石をかけることで、危険性を避けようとするシステムがあったのである。
(六)このようなタントラの危険性や危険性を避けるシステムに無自覚な形で、現代の日本にタントラを直接導入しようとするのは、無知で愚かな行為である。
この(三)がすごく大切で、こういう話しの流れではなかったけれど映画「聖なる呼吸 ヨガのルーツに出会う旅」でアイアンガーさんも「ヨガの練習は再普及の時代までほとんどされていなかった」という話をされていて、実際それはハタ・ヨーガの教典を読めば少しはうかがい知れるもの。権威のある教典にもこのくらいのことが書かれているのだから、口伝の閉じられた世界ではなにが行われていたのだろう、と想像してみると怖さもある。
わたしは空海さんが最澄さんに理趣経を見せたくなかった理由も、こういう危険性を避けるシステムの必要性すら理解していない状況を懸念してのことではないかとずっと思っています(答えは誰にもわからない)。
この本は一箇所、校正漏れかと思うのですが202ページの「漸新解脱におけるバクティの位置」の最後の文章末尾が敬体になっていて、そこが妙に沁みます。
このようにいずれにせよ、バクティは、シャンカラにとっては知識あるいは知識が輝くのを助けるものと理解されているのである。そしてこのような形で、バクティをウパニシャッド以来の主知主義的な伝統の側から理解していこうとされるのである。
この本全体のトーンでは「理解していこうとするのである」のところが、敬体。ここは校正漏れであったのだとしても、「されるのである。」としたくなる部分というか、シャンカラが保とうとしたバランスの微妙な機転がここに! というところでもあるように思うのです。
この本はインド哲学の本にしてはめずらしく人間味あふれるスタンスでシャンカラに向き合われている本で、序盤は「なんか演歌っぽい展開かこれ…」と思ったのだけど、中盤で他派の思想説明を包含した展開となり、その説明はたいへん親切な日本語で、さらに終盤で著者がシャンカラにたどり着きこういうスタンスになった理由が赤裸々に語られる。この展開をよしとするセンチュリー・ブックス(清水書院)、いいなぁ。
インド思想はドライに説明するととことんドライで、わたしはそこが好きなのですが、こういう人情的なバージョンもちょっといいかも。