うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

正直に語る100の講義 森博嗣 著


いつもイッキ読みしてしまうシリーズですが、今回はゆっくり読みました。
いくつかの講義にまたがって「かねてより気になっていたこと」に言及があって、ちらちら見ては、わたしもいろいろ考えをめぐらせました。
キンドルには「ハイライト」という機能があって(付箋を貼っておくような感じ)、以下の講義のタイトルにハイライトをしていました。

  • 6:意欲を見ようとするから、意欲さえ見せれば、となる悪循環。
  • 17:自分が何者かという観測が、戦略において最も重要な情報だ。
  • 27:「オレオレ詐欺」のフィルタリング機能
  • 45:禁断症状なんて、普通の食品だってあるでしょう?
  • 51:「疑問の声」という場合、賛成する声は含まれない。
  • 54:「もう少し勉強してもらいたい」という批判のし方はみっともない。
  • 55:知らないならそう考えるのは正しい、と評価すべき。
  • 56:指摘を不満だと解釈する人たちの心理とは。
  • 58:「友達にはなりたくない」という表現の危うさ。

この51と56が、すごく気になりました。わたしもここに登場するような会話の展開になることが、たまにあるのです。

 どうも、そういうふうにさきまわりして勝手に萎縮する世の中らしい。だから、大げさに自粛したりするのだろう。さらに、さきまわりして火をつけ、炎上させて、人を苛めるのだ。言葉を言葉どおりに取らない人が本当に多いと思う。
(51 「疑問の声」という場合、賛成する声は含まれない。 より)

ここがすごく気になって。
わたしは長くインターネット・サービスの仕組みにかかわる仕事をしているのですが、「なんでこうしたのですか?」と聞くと、話が前向きに進まなくなることがあります。以前は女性に多い傾向かと思っていたのですが、相手が男性でもそういうことはあり、そしてそのあとにわたしが女性だからだろうか(いわゆる男性のプライド問題)とも考えてみるのですが、そうでもないのです。年齢性別に関係なく「ああやっぱりそこ、気になる?」「よくその仕様への疑問を口にしてくれた」と喜ぶ人はおり、それをきっかけに親しくなることもあります。
優先順位や判断の理由を訊かれるというのはうれしいことのはずなのに、なんで中身に関係なく萎縮するの? と思うことが多かったので、今回の51と56の講義は自分のことのように感じながら読みました。


56に「疑問=批判」と受け取る人の思考として、子どもの頃からそうであるという例が出てきます。
これはヨガを習いに来る人と話しながら感じたことがあったので、気になりました。ウェブの仕事のときは「予算がないのかな」「ポジションを守りたいのかな」などと組織にありがちなネガティブ要件を想像できるのですが、ヨガのように「そもそもそういう要件、ないよね」と思う環境でも萎縮の反応は起こる。
「いま○○さんがおっしゃったことは…」と少し細かく認識を掘り下げようと思ってわたしが口を開いただけで「あ、それは、そうじゃなくて…」みたいな感じで、本題に入る前に一瞬ブロックしたがる反応をごくたまに見るのです。もちろんネガティブな掘り下げはしないので、そのあと本題に入れるのですが。


このように「そういうのって、あるのだよな…。でも、なんでかな…」と思っていたことに共感する内容があり、ほっとするというのとは違って、あきらめがつくというのとも違うモヤモヤが形をなしてきました。こういう萎縮は増えないほうがいいと思うのです。

文章の中では、ほかに以下のフレーズをハイライトしました。理由は「はげしく同意」というところ。

飼い主に噛みつくしか選択肢がない人は、犯罪者にもなりやすい。
(10:「将来に不安がある」と答えた人が多い、という馬鹿なアンケート結果。 より)


本当の平和は、悪を封じるのに個人の怒りを必要としないシステムなのだ。
(52:怒りから平和が生まれるだろうか? より)


良い仕事をすれば、自ずと「これ誰がやったのだろう」と見た人は感じるわけで、必ずその担当者へ行き着くのだから、わざわざ出てくるのは逆効果ではないだろうか。
(66:コマーシャルが、単なるメディアになってしまった。 より)

とくに最後の事項にうなずきました。


ほかにも、93番目の講義にあった日本の書籍の発行日があやふやな件と出版界が復活するのは無理そうという話を読みながら、家電の「オープン価格」を想起しました。ばちっと価格を書いてくれないにしても、発売前に情報を読んでこれは欲しいかもと思った後に「オープン価格」って? となる。本の発行日と同じように、わたしにはこれがよくわからない。


大阪の人と愛知の人の言葉の話(ご夫婦の会話)を読んだときには、学生時代の思い出がよみがえりました。
わたしが学生の頃、「チビT(ちびてぃー)」というのが流行っていて(わたしの記憶では、それを流行らせたのはいしだ壱成さん、それを名古屋の友人が「ピチT(ぴちてぃー)」と言っていました。わたしは当時「ピチT」と言われると想起するイメージがもっとマッチョな人で、「メロリンQの人がTシャツを着る感じ(いまでいう山本太郎さん)」と思ったのでそのように名古屋の友人に話したのだけど、「えー? だからピチTじゃんねぇ」というまた独特の「主語どこ?」というイントネーションで返され、ふわっと話が終わったのでした。


今回は読みながら過去のことを思い出すことがすごく多くて、それはこれまで以上にわかりやすく書かれていたのか、わたしがこのエッセイの調子に慣れてきたために自分の記憶を紐付けられたのかわかりません。
講義の中には「言葉に敏感であることは、社会で生きていく基本事項だと思うのです。」で締めくくられているものもあり、言葉がつい気になる人におもしろい話が多いかと思います。いつものことながら、おすすめよ。


▼紙の本

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森 博嗣
大和書房


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