うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 エマニュエル・トッド 著 / 堀茂樹(翻訳)


読むのが大変でしたが、この複雑な背景を他国の人間に説明する本を書くって、すごいことです。
どんな人がどんなことを書いた本かというと、「もしもビッグデータにイシューを立てて差別問題を取り扱える山本七平がいたら」みたいな内容でした。
シャルリ・エブドのあの行為の異様さ、これはいま本当に起きていることなのですか?という感覚のやり場のなさを、どうしたものか。わたしはこの小さなブログにですら「アッラーに "さん付けできない" のがもどかしい」と感じるくらい、そこはセンシティブというよりもほかの宗教と違うだろあそこの神様は…という感覚でいるので、シャルリ・エブドのような行為が起こりうる思考背景にいろいろな角度で関心を持っていました。(なかは空洞なのではないか、という予測とともに)


この本が出た後に英国のEU離脱があり、同時期に「帰ってきたヒトラー」という映画を観ました。この本を読むためにも、観ておいてよかった。
この本は長いフレーズの倒置で書かれている文章が多く、一文を読み切る間に混乱することが何度もありましたが、読後に「マーストリヒト条約」「ライシテ」「ヴィシー政権」なども調べて、なんとか読みました。
この本の要素の要約であろう内容が最新の「問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論」(紙の本 / Kindle版)にあるようなので、読むなら最新の本がよいかもしれません。


恐ろしいことに、読めば読むほど「なんか似ている、日本人のあの行動。世代格差とあの思考」という現実がチラつきます。が、フランスとは大きく国の状況が違います。人口学・歴史学・家族人類学である著者はわかりやすく解説とデータ解析を重ね、フランスとドイツの関係を主軸に説明が続きます。論理が偏った方向へ導かれないように設定のデータを少し不利な状況にし、それでもなお浮かび上がってくることを論じています。ヨーロッパ人ではないのでデータを見てもその地域特性を想起できないのですが、結論付けを読みたくなる語り口で、格差や信仰の度合いを詳らかにしていきます。

以下の2箇所は、「フランスはあんなに立派な教会もたくさんあって、さぞキリスト教徒が多いであろう」という思い込みが、「日本はあんなに立派な大仏や仏教寺院があって、さぞ仏教徒が多いであろう」と似たようなもの? ということを、実感として想像させてくれる。

1990年代の始め以降、無信仰でいることの根本的な問題がついに浮上するようになった。神が存在しないというのは高度に理性的な考え方だが、人間存在の究極の目的という問題に解を与えてくれない。無神論を突き詰めていくと結局、意味なき世界とプロジェクトなき人類を定義するところにしか行き着かない。したがって、世俗主義的フランスもまた、それなりの角度から、今日の新しい宗教的居心地の悪さに貢献している。無信仰に慣れなければならないからではなく、ついに、教権主義の側からの異議申し立てという倫理的・心理的なリソースを奪われた「絶対」の中で無信仰を生きなければならなくなったからである。
(86ページ 第1章 宗教的危機 / 無神論の困難さ より)



 現代のフランスに、そんな対決を続けていけるような体力はない。この国がプロテスタントの追放とヴァンデの乱を越えて存続できたのは、当時はヨーロッパで人口の最も多い国だったからにほかならない。今日、若者の10%を格下の市民のような立場に追いやり、彼らのうちの最も優秀な者たちがさしずめ英米へでも逃げていってしまえば、それは取りも直さず、中級国家としてのフランスの終わりを意味するだろう。
(282ページ 結論 / 未来のシナリオ1 対決 より)

歴史と宗教と人口の変化を重ねて語られるので、納得してしまう。納得したくないことも、人口と家族構成の変遷で説明されてしまいます。



以下は、自分の親とその上の世代を見るときの感覚と重なります。

フランス国立人口統計学研究所(INED)の所長だったフランソワ・エランは、天才的なメタファーでもって、高齢者の人口が一挙に増加するのは、予測もされず、調節もされなかった大量移民現象のように分析され得るということを理解させてくれた。
 シャルリは歳をとっていく。すると、彼の後ろめたさのなさに拍車がかかっていく。彼はますます、自分の幼少時代へのノスタルジーの作用を受けるだろう。その時代のフランスには、ほとんど白人ばかりが暮らしていて、街にハラール精肉店イスラム法で食することの許される肉だけを扱っている〕がない代わり、学校の食堂で金曜日は魚と決まっていた〔カトリック教会ではキリスト受難の金曜日には鳥獣の肉を食すことを避ける〕わけで、教会と革命が共存していたのである。
 そう、事態はたぶんもっと深刻になっていくだろう。その後、好転することはあるのだろうか。
(294ページ 結論 / 予測可能な状況の深刻化 より)

わたしの親は昭和20年代前半生まれなのだけど、「後ろめたさのなさに拍車がかかっていく」感じは少し感じる。まえに同世代のヨガの修練者たちと「親が迷いなく口にする反中感情にギョッとする」という話になったことがあるのだけど(「うちも!」という人が何人もいた)、それでも親の世代は「自分の幼少時代へのノスタルジーの作用を受ける」ということはないように見える。ものすごくアメリカに憧れるべくインプットを受けてきた世代の人たちだけど、いまそれが逆転して、そこへがんばって対応しようとしているように見える。そこにわたしは尊敬の念を抱いたりもする。



以下の箇所はあえて順番を入れ替えて引用します。いずれも136ページから。

戦闘的な無神論は固有の神学を持っていて、祖先の神であれ、他者たちの神であれ、神の不在を主張するために闘うことを重視し、これを優先的なことと見做す。フランス社会を特徴づける宗教的混乱の中に、次の四つの基本的要素が見られる。
【1】無信仰の一般化
【2】被支配的状況にあるマイノリティの宗教であるイスラム教への敵意
【3】被支配的状況にあるそのグループ内部での反ユダヤや主義の擡頭(たいとう)
【4】その反ユダヤ主義擡頭に対する、支配的世俗社会の相対的無関心
 このような文脈においては、次のようなことが社会学的に、政治的に、人間的に明白だ。すなわち、イスラム教をフランス社会の中心的問題として指定すれば、フランス人のマジョリティにとってではなく、ユダヤ系の者にとって、身の危険が増大するのが必至であるということ。


この説明の数行前に、以下のことが書かれています。

 2015年1月7日の事件は、したがって副次的に、それより前の殺害事件ですでに明らかになっていた反ユダヤ主義に対する平静さを、ふたたび表出することになった。デモ参加者たちが集結したのは、最も重大なことを告発するためだけではなく、すなわち反ユダヤ主義、およびユダヤ教というマイノリティの宗教が直面しなければならない危険の高まりを告発するためではなく、もうひとつのマイノリティの宗教であるイスラム教に対するイデオロギー的暴力を神聖化するためだった。
(136ページ 第2章 シャルリ / カトリシズム、イスラム恐怖症、反ユダヤ主義 より)

連続して起きているテロ事件の根っこにあるものを理解したい人に、この説明は「おぉ」となる。
シャルリー・エブド」の風刺画の件は、「なんでああいうことに作業の手を動かせるのか」ということが気になっていたのだけど、殺された人たちの情報を見ると、若いのは編集長と警備員らで、絵に関わっていた人たちには70歳以上の高齢の人が多い。「これいまの時代だったらコンプライアンス的に吊るし上げられるよね」という表現は日本にも多いけど、宗教の冒涜という面ではやはり異様で、でもそれをやれてしまう感覚の人がいる。このモヤモヤに、この本は解を与えてくれました。
それにしても、自分はもうすぐ死ぬし。と思う年齢であったところで、あんなことするか? 「シャルリは歳をとっていく。すると、彼の後ろめたさのなさに拍車がかかっていく。」という解説は感覚的にわかりやすいけれど、自由の愛しかたとしては「ずいぶん変わった形」としかいいようがない。


わたしはフランスのコメディやユーモアがすごく好きなのだけど、この著者は最後のほうで、こんな語り口。

〔いま男の視点から説明すると……〕学問の人類学でなく具体的人類学が、イデオロギー上の普遍的人間を日常生活の普遍的女性に転じてくれる。また、差異を有する具体的人間を差異を有する具体的女性に転じてくれる。具体的女性となると、これは到底、概念みたいに簡単には拒絶できない。まして、すごく綺麗な女性だったりしたら尚更である。異国風の美女と、国産のブスの間で躊躇すると、フランス人の普遍主義者は一般的によき選択をする。フランス人女性も同じように行動するに違いない。男女関係におけるイデオロギー的なきまじめさの不在は、その上にものを打ち立てることのできるいっぱしの台座だ。フランスがフランスであり続けられるのはこのようにしてであって、間違っても、冒瀆に関するイデオロギーを育てることによってではない。
(296ページ 結論 / 共和主義再生の秘密兵器 より)

このあとも、うまいこと展開するなぁという語り口なのだけど、引用箇所は終論の章なのでここまでにしておきます。


最後に引用した箇所のような感覚がちょいちょい挟まれるのでわたしはおもしろくグイグイ読みすすめたのだけど、「きまじめ」な人には無理だろう。新書で出てるけど、これはノウハウでも分析だけでもない。冒頭にも書きましたが、「もし山本七平の本をリアルタイムで読んでいたら」という感じで、考えない習慣を矯正する効果としてはこの上ないです。
ただそれなりにむずかしいので、万人におすすめかというと、それなりにむずかしいです。


▼紙の本


Kindle