うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

毒になる親 スーザン・フォワード 著


読んでいるときはしんどかったのだけど、メモしたところをあとで一般化して再読すると、ちがったものも見えてきます。
日本特有の社会背景も鑑みつつ読まないと、こういう本はあまりにも強い意志を求められすぎるため、わたしには無理だという思いが発動し、ひっぱられてしまう。解放されるためには海外に逃げるか先に死ぬしかないのかな、くらいの考えならまだしも、もっと思いつめている人には危険な本かもしれない。


そのうえで、<第十章「考え」と「感情」と「行動」の結びつき>にある

  • 自分の感情のわき起こるもとになっているものが何なのかを知ることは、感情をコントロールできるようになるための重要な第一歩である。
  • 服従的であることと攻撃的なことは同じコインの両面に過ぎない。

ここはたいへん重要だと感じたけど、ここを冷静に読む力もなくなってしまっている人が多いのではないかな。もっと日常的にそういう考え方ができるようなことが増えてこないと、今後ますますしんどくなる。以下の訳者さんの指摘も、日本でそのまま適用することが可能だろうか。



(以下、訳者あとがきより)

  • 「精神的な虐待」は子供の時代だけでは終わらないのである。本書には中年を過ぎてもまだそれが続いている被害者の例がいくつも登場する。
  • 日本では「親」を批判するということになると、マスコミはもちろんのこと、専門家であるはずの心理学者ですら歯切れが悪くなるのはいったいどうしたことか。

日本では、というけれど、ほかのアジアではもっとそうなんじゃないかなと思う。



この本の本編に書かれている以下の部分は、とても重要なことだと思った。

<十五章 「毒になる親」にならないために より>
まず "被害者" みたいな顔をするのをやめること、そして自分の親と同じような行動をするのをやめることである。そして、配偶者、子供、友人、同僚、あなたに力を及ぼす人たち、そしてもちろん親に対して、二度と非力で依存的な子供のような態度で接することはしないと決めるのである。

毒になる「親」に限らず、毒になる「人」になっていないかというのも大切な振り返り。子供に「あなたを育てるために、わたしはこんなに犠牲を払った」というインプットをする親と同じような思考を、誰かに向けていないだろうか。



親が子に対して行う被害者発言や罪責感を植えつけるマウントは、公園でも乗り物の中でも耳にする。子育てをする親がそれを「武器」にしたくなる気持ちもわかる。問題はなんでそんな武器が必要になるのか、「なにと」戦っているのかというところにあるんじゃないかと思う。こういうことの連鎖を避けたい気持ちから起こる少子化は、自然なことじゃないかな。
まえにお母さん向けのインド哲学講座をやったとき、「そんなことしたら、お母さんイヤだからね」「お母さん悲しい」というような言い方は残酷だという話をしたことがあります。自分で生活ができるようになるまでは「一神教」にならざるを得ない子どもに、こういう発言を親が人前で(バスの中や公共施設で)できてしまう社会というのは、子どもにとっては異様なしんどさだと思うから。
「子どもは親に絶対的に気に入られたいのです」ということを再確認させられる本でもあるので、そういう意味で、子育てをしている人は読むとよいかも。


いっぽう、もう自活しているのに親の望みに応えていない気がしてしまう状況の人には、この本はきついです。要求は際限がなく、絶対的に奴隷の前提である現実を突きつけられてしまうから。
最近こういう本が増えているけど、親も子も選べない。神を呪うしかない。宗教の役割が負っているものって、大きいですね。(しみじみ)


▼紙の本


Kindle