うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

優雅な肉体が最高の復讐である。 武田真治 著


著書の宣伝のためにラジオでお話されていた内容が爆発的におもしろくて、読みました。
いろいろ話されていましたが、「腕立てよりもベンチプレスのほうが絶対にラク! みんな勘違いしてる」と力説。
理由がおもしろい。



 「腕立ては降りたときに床に近づいて、そのままやめてしまいたくなる。
 (身体は)ある程度のものがのしかかってきたら、自然に押し返そうとするもの。
  だから、ベンチプレスのほうがラク




たしかに! 楽器をやっている人だから、五感と身体の反応の矛盾によく気がつくのかな。とにかく、ごもっともな指摘。
帯も、郷ひろみ! GO! GO! いろいろ、鍛えたい男の子の心をくすぐる本ですよ。わたしもくすぐられました。(くすぐられるな!)


文章が作文っぽくて、文筆を生業としていない人ならではのリアリティもある。

何が理由であれ、成人した人間の感情にムラがあって得することは何もありません。
(中略)
 トレーニングは無駄な負のエネルギーを発散させ、肉体と感情をコントロールし、自分が正しいと思う自分であることをサポートしてくれます。
(22ページ「トレーニングは精神安定剤にもなりえる」より)

負のエネルギーの発散はヨガでも重要視されること。カチカチした文体で読むのが新鮮。




ランニングについても、おもしろいことをおっしゃる。

タイムを求めすぎるとランニングが辛い体験として体内にインプットされてしまいます。人は自ら進んで辛い体験に繰り返し向き合おうとはしません。
(51ページ「辛い記憶にしない」より)

不快な要素の観察眼がいい。だからといってやめるのではなくて、なにが嫌なのかということを見つけるのがじょうず。




身体の変化が楽しくて、ハマってしまったがゆえの失敗も。

「習慣」の向こう側には「中毒」があって、その境目は曖昧です。
 盲腸の手術で3日間入院したとき、身体がなまるのがイヤで4日目に21km走ったら傷口が開き、さすがに自分でもあきれました。
(80ページ「やりすぎ注意!」より)

いまは、うわー。と思うけど、わかる。いつの間にかこっち側でも追い詰めちゃうんだよなー。




後半はガラリと自伝風になります。ラジオを聴いていたときは、「そうだ、『南君の恋人』をやってた人だ!」というところで記憶が止まっていたのだけど、読みながら「そうだそうだ、CUTとかそういう雑誌にいっぱい出てた気がする」なんてことを思い出した。

同世代の俳優と同じ土俵で争うのが嫌だったからアート寄りの人間を装いエクスキューズをして逃げている部分もどこかにあったと思います。
(132ページ「何をするにも体力が必要だった」より)

吐露が正直でナマナマしくて、引きこまれました。



 どちらかというと僕は愛だ平和だ平等だとかをいつもどこかで願っちゃって争いを避けるタイプの人間だったんですが、それは時に自分の成長を妨げる原因になりかねない弱さでもあることに気がついたのです。
(154ページ「その場のルールを受け入れる」より)

この本は、小見出しのつけ方が秀逸。だけど口語に校正を入れていない(人間だったですが、とか)。リアリティの残し方がニクい。




最後のほうで、この本のタイトルの由来を「生意気で、大切な人たちを傷つけた過去への戒め。自分のある時期への静かなる復讐。」と振り返る。
そういう本だったのか。
めちゃくちゃ乱暴に要約すると、「顎関節症などをきっかけに縄跳びから体力づくりをはじめて、その過程で自意識のこじらせ方をじっくり観察して、その都度こんな感じでトレーニングに逃げて、そしたらトレーニングとの向き合い方がまたこじれてたのでこんなことになって、つぎにこれをした」ということの繰り返しなのですが、その途中途中での回想は共感するポイントがいっぱい。
「運動を始めたことを人に宣言するのはやめたほうがいい。結果が出ていない人の話は周囲もうっとうしいはずなので」とか(笑)。ほんと、そうだよなー。と思うことがたくさん書いてありました。あからさまな写真の表紙とか、ご本人も実はどうかと思っているのではないかと思うほど、「トレーニングにハマる人なんてまじでウザいと思ってた感」が満載で、クスクス笑えます。