2010年の本。著名ブロガー総勢110名へのアンケート取材をもとに、「インターネット上でログを刻み続けること」を説明されています。
タイトルには「成功」とあるのは、「有名なブログ(サイト)の運営者に聞いたアンケート結果」が元になっているから。全体に「わくわく感」のようなものがにじみ出ていて、書き手の人たち(アンケート回答者、インタビュー参加者、著者)のチャームポイントが見やすいな、と感じました。
アンケート項目は
- 回答日
- 名前
- TwitterID
- 自分のサイト、ブログ
- 一番好きなWebサイト
- 始めてみた時に一番衝撃を受けたWebサイトとその理由
- ネットで情報発信する時に一番重要な個人スキル
- ネットで情報発信する際に心がけていること
- 活動が続けられた理由
- 収入の変化の有無
- どれくらい経ってから変化が現れたか
- アクセス数を増やす工夫はしている?
- フォロワーを増やす工夫はしている?
これを110名ぶん読むのがおもしろかった。なかでも「始めてみた時に一番衝撃を受けたWebサイトとその理由」への回答を楽しく読みました。
そして、そこにたくさんあがっていた「webやぎの目」の制作者さんのインタビューが載っていて、これがまた面白い。面白いサイトの人は、やっぱり面白い。
コンテンツの継続とイノベーションの継続(webやぎの目管理人&デイリーポータルZ 林 雄司さんインタビューより)
林:「お客さん」って言っても、授業中にマンガを描いて回すぐらいの感覚。それは今でも変わらないです。クラスでも前に立ってわーっとおもしろいことを言うタイプじゃないので、授業中になんか描いて、みんなにこっそり紙を回す。「インターネット、俺に合ってるな」って思いました(笑)。
インターネットに向いている人の定義の仕方として、すごくよくわかる。
この本の著者さん(いし=いしたにまさき/著者)との掛け合いも、最高。
いし:昆虫を食べている人たちが決まって言うのが、「貴重なタンパク源」っていうセリフ。いやいや、今タンパク源いっぱいあるじゃん! わざわざそれ食べることない。あんたら、虫が好きなだけだろう。
林:そういう「まじめ」に引っ張られちゃうと、よくないですよね。
「まじめ」とか「自然体」とか「シャンティ」とか「スピリチュアル」とかとかとかに引っ張られちゃうと、よくないよくないって、いつもひとりでやっているので、すごく元気が出た。「神聖ぶるとカルマ背負うぞ」くらいの引き締めは、やっぱり必要。
わくわくしたところの代表的なところは以上、という感じなのだけど、そもそもなんでこの本を読んだかというと、周囲にブログを続けている友だちがどんどんFacebookなどのSNSへ移行していって、こういう話をできる人がいなくなったから。
移行した人たちの理由はまあそれぞれなのだろうけど、わたしはリアクションしている人がわかる「いいね!数」よりも、「顔の浮かばないログ」のほうが好きなので、断然ブログ派です。
そしてなんでブログを書けるときは毎日書いているかというと……
この感覚について、説明されている箇所がありました。
(122ページ:時間の推移とともにコンテンツが蓄積されるシンプルなグラフを添えた説明で)
コンテンツの総量の面積としては、1日さぼることが、実は1年後には、365の面積が失われることと同じになるのです。これが身体で分かっている人が、毎日の更新をやめられるわけがないのです。
コンテンツの総量の面積がある一定量を超えると、量的変化が質的変化に成長します。
長く続けていると、これがまったくヨガと同じで「身体でわかってくること」というのがあります。
それが楽しいと、続けたくなります。
とはいえ、やめるときはやめたり、仕様を変えたりします。この感覚についても、説明されている箇所がありました。
(「あなたがネットでの活動を続けることができた理由はなんでしょう? なぜ続いてきたのでしょう?」の分析コメントから)
これはネットで特徴的な部分なんですが、いわゆる深い関係がいい結果になるとは限らず、むしろお互いにあまり依存しない程度の距離感(=薄さ)を保ったほうが、いい結果になることもあります。
「薄さ」があるから、マイペースでやることができる。「薄さ」があるから、自分が好きなことだけをやることができる。「薄さ」があるから、友人とはしない話をすることができる。そして、そういう情報発信で出会った人たちだから、オンラインとオフラインの往復も可能なわけです。
わたしも「マイペースでやることができる状況」がないと、ブログは続けられないと思います。
このブログでもこれまで
などのプチ変更をやってきたのですが、どれも、アクセスが増えた(読む人の裾野が広がった)ことだけが理由じゃなくて、オンラインとオフラインの関係や利用のノリが、SNSの普及でずいぶん変わったというのが大きい。これにあわせて、いろいろやめました。
ログの感覚については、もうひとつ。
(203ページ なぜプランなしに実行していってもOKなのか より)
- 面白いことじゃないと続かない
- プランするだけ無駄
ここだけを考えれば、まるでノープランな人たちのように見えるかもしれませんが、それが実はそうではないのです。これがネットの外から見ていると、すごくわかりにくいところです。なぜネットでは「とりあえずやってしまえ!」ができるのかというと、実行すれば参照できる価値のあるログが情報提供側に残されるからなのです。
これもブログのとても楽しいところです。スベってもスベったなりのログが残る。
「続いている理由」として、この本には書き手の性格的なものもトピックにあげられていて、おもしろかった。
(211ページより、一部抜粋)
- 他に吐き出し口が無かったから
- サラリーマンとして仕事に100%満足出来ていたら、たぶんネットの活動は積極的にやっていなかったはず
- 友だちが少ないこと。なにか思いついても伝える人がいないのでネットに書くしかなかったのだと思います
わたしもまったく同じ。ブログに書いているような「どうにも気づいてしまった細かすぎること」って、話す場所がない。
続けるのは苦じゃないし読書量も安定しているからネタには事欠かないのだけど、ときどき「書き続ける気」の燃料を追加したくなるときがある。
そんなときだったので、とても楽しくイッキ読みしました。