やたら「プライバシーポリシーをどうこうした」という表示が出るGoogle。
Facebookも、「便利ですけど、つなぎます? まあリスクもあるんですけどね」という趣旨の短い文章の奥行きは、、、
たとえばアドレス帳機能を繋いじゃおうとする瞬間。
「つなぐ便利さはありますが、間接的にあれ? と違和感を持つ人が全体的に増える仕組みになっております。それがあまりに全体的なので、"あなたがやったこと" について、"お前か!" と思われることはほとんどないでしょう。まあそこんところを神経質に考えないのならば、とりあえずの繋がりの多さは増えますよ。押しますか?」
ということなんですね。
「アカウント設定」と「プライバシー設定」も、別モノです。
そして、さすがにこれはコワいと思ったのが、Gmailに出た表示。
今すぐインポートなんかしないってば(笑)。
うちこはメルマガ用、システムからのログ的なメール、などなどをアドレスごとに用途を分けていたりします。
倉庫のようになっているアドレスがいくつもある。
G子:このクローゼットはすごく広いからさ、となりの書庫にある古本も持ってきちゃいなよ。
うちこ:いやいや、書庫は環境とかにおいとか、そのモードでその目的で行ってるから。
Google+ も、「一般公開プロフィール情報」と「ネットワークでの公開設定」ってのがある。
「ネットワークでの公開設定」は自分のサークル内のメンバー表示はデフォルトでオンになってます。
「入っているサークルのオーナー」も自分をサークルに追加したユーザーを表示するってのがデフォルトでオンなんだけど、ざっとしくみを見る程度にしか使っていないから、ここはよくわからない。
そんなにログを集めてどうするんだ。
最近サマンサ・タバサのものをひとつくらい買おうかな、なんて10代の女の子みたいな気になっているけど、先週は岡倉天心のことばかり考えていたアラフォーのわたしのそのログを、どういうタイミングでどう使ってくれるのだろう。この、瞬間瞬間の意識というログを、いったいどうしたいのだろう。
Googleツールバーも、いっけん丁寧だけど
検索などのアクションがちょいちょいGoogleに送信される機能が、デフォルトはオン。
「みなさまのプライバシーのことを考慮して、すぐにオフにできるようになっております」ってことが配慮らしいのだけど、「違和感察知」のハードルを上げすぎではないか。
ヨガでいえば「全員が開脚前屈でおでこが床に着く前提」くらいのハードルじゃない?!
知人友人に「節操のない人」に見えようが、サービスを提供する側にはまったく関係ない。そりゃそうだ。
でも3年くらい前までは「そりゃそうだ」って思わなくていいような、日本のサービスにはなんとなく守られているような安心感があったんだよなぁ。