うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

あなたにオススメの 本谷有希子 著

思い起こすと2019年ごろから、身近な人と「この除菌カルチャーは苦しいよね」と話していました。当時それは精神のことを指していました。閉塞感みたいなことです。
そしてその翌年にはリアルに除菌カルチャーが評価されるパンデミックが起こり、精神にも肉体にも安全でないものを排除する判断が、以前よりもタテマエとして通じやすくなりました。

 

最初の緊急事態宣言の直前(2020年の春)には、「わたしたちがボヤきながら話していた ”除菌カルチャー” がいい意味で使われることになるなんて、皮肉ですね」と、それまで毎週のように会っていたヨガスタジオの管理人さんと話していました。
管理人さんとはそれまで7年ちかく、ほぼ毎週いろんな話をしていました。その週に起こったニュースについて思うことを話しました。ふだん自分が所属する組織や生活圏では接しない世代・職種の人との定期的なコミュニケーションは、わたしにとって、狂わないためにとても大切でした。
狭い価値観の世界で先鋭化する考えを食い止める機能が生活の中に組み込まれるようにしておきたいというのは、ここ数年でよく考えるようになったことのひとつです。

 


そんなこんなの日々の悩みを踏まえた上での、本の話です。
この本に収められている『推子のデフォルト』は、バラバラであることの健全さってなによ? 画一のほうがいいに決まっている。そのほうが争いも起こらない、という設定から始まる話です。
春に読んだ『るん(笑)』という小説では、猛烈にスピリチュアルであることがデフォルトの世界を見ましたが、この『推子のデフォルト』はそのデジタル版のような話。均一で使いやすい人間を目指す。
しかも、問題意識を持っている人がそこから抜け出すためにスピリチュアルへ転向しそうで、そうはならない。超自然派へ転向してくれれば読んでいるほうもラクなのに、なかなかそう一筋縄ではいかない。この展開がすごくおもしろくて。

 

小さな選択が無数にどんどん登場する現代は、「デフォルトでいいや」という安心感がなかったら、人生は間違いなくタスク過多です。なのでわたしは推子のように、とっととデジタル化してしまってこの極端な世界に乗ってしまいたいという気持ちもわかります。30代前半の頃は、完全にそうでした。
そうやって乗ってしまっておきながら、自然法則と折り合いながら美しく人間らしい生活をする人と接すると、まるで自分が選択能力のない人のように感じて葛藤する。ヨーギーらしいヨーギーと一緒にいるときの居心地の悪さを、わたしはよく知っています。
その中でずっと揺れながらバランスをとってきたので、この話は精神的にはそんなにバーチャルに感じませんでした。

 

 

もう一編収められている『マイイベント』は、とんでもなく嫌な話でした。読みながら、かつて見たことのあるタイプの人を思い出しました。それは、たまに大型ビルで遭遇してギョッとする、エレベーターの「閉」ボタンをアピールするように連打する人。同じ人ではなく、同じ会社でなくてもたまに見ることのある光景。


この『マイイベント』の主人公は、とにかく自分の行動の成果がどんな形であれ感じられることが最重要事項。自分が災害の準備をしたら、災害が起きてほしい。災害の準備をしていないときは、みんな大げさな告知を真剣に捉えて守って……、と、災害にならないことを信じたい。
━━ ん? 待て。この後者の考えは、わたしもやるやつじゃないか。
途中で何度か、この嫌な主人公の思考を否定できない自分に気がつきました。これはきつい。きつすぎる。
150世帯が入居するマンションでの格差は会社とか学校とか、いろんな「箱」で起こることに置き換えやすいし、その中にいる「エレベーター閉じボタン連打をしそうな人」との接触も、日常の中でそれとなく覚悟したり避けたり防御したりしているもの。

 

連打しちゃう人はそりゃ精神のコンディションが悪いのだろうけど、それが常態化している人にも当然幸せはあって、その幸せの基準を見せてもらえる機会はなかなかない、というか、まずありません。小説だから見ることができます。
その価値観の世界へ、ぐいぐい連れて行かれます。「齧歯類」のような、文字列を見ただけで嫌な感じのする語が差し込まれる瞬間とか、とにかく嫌悪感を引き出す撒き餌がすごく、出し惜しみせずどんどんきます。

 

 

二編とも、世間のニュースを他人事として眺めている自分の椅子を突然奪われたような、この話にどう付き合ったらいいものかと躊躇してしまうような物語で、自分の基盤の緩さを突かれました。
穏やかな日々には刺激の強すぎる本でしたが、こういう筋トレもしておかないと、急な社会変化やイベントに便乗した他人の悪意に触れた時にびっくりしちゃうもんね。大変だもんね。うんうん、大変だもんね。と、自分で自分に合いの手を入れながら読みました。