うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

医者と薬を遠ざける「ふくらはぎ」習慣 小池弘人 著


ほとんどがメンタル面からのアプローチ。Q&A形式で語る構成なのですが、「とにかく理屈で説明してもらえないとダメな人」の相手をするという設定。
さも健康本かのように思わせつつ、中でこんなことを説くなんて! この先生、おもしろい! 頭の固いひと向けに設定したような感じだなと思っていたら、二元論をふりかざす質問者が登場する。軽い気持ちで読み始めたら、表面ばかりの健康本じゃなくてびっくり。

<39ページ 「線形」思考と「非線形」思考 より>
 他人にマッサージしてもらうのが悪いわけではありません。腕がいいマッサージ師であればなおさらのこと。でも、それはそれで、これはこれ。自分でもやればいいだけの話です。
 それに、プロの施術が仮に正解だとしても、正解は一つとは限りません。「このさわり方でいいのか」「この回数でいいのか」などと不安に思うとすれば、どこかに絶対的な正解があるような錯覚を抱いているのではないでしょうか。
 そんなタイプの人は「合っている/間違っている」という二分割思考に陥りがちです。


(中略)


 ふくらはぎをもむことにしても、やり方や回数を過剰に気にする人は、何か根本的な不安にさいなまれているのかもしれません。あるいは、熱心なようでいて、無意識にやらない言い訳をつくろうとしているのではないかと、そんな疑問を感じさせる人すらいます。
 やり方に関してやたらに質問が多い人は、自分の感覚を全く信じられない人である可能性が大いにあります。自分自身のなかにものさしをもたない人 ── これは健康問題として、実は根が深いです。

「やり方に関してやたらに質問が多い人」はヨガでも一定の比率でいるけど、「有名な先生や組織の名前を引き合いに出して質問をしたい人」にも同じものを感じます。実は根が深い。



<65ページ 「不自然な状態」こそ健康である より>
生物が生きているというさまは、非常に無理のある状態です。
 たとえば、夏の終わりになると、セミの亡がらが道ばたに転がっています。虫は死ぬとひっくり返ります。なぜなら、虫は背中が重くてお腹のほうが軽いからです。
 上が重く、下が軽い ── これは、構造物としては「不安定」ですが、生物全般に通じる話です。

これ、ほんとそうなんですよね。なので、三点倒立はむずかしくないんですよ。



<75ページ 「縄文時代」に回帰せよ?! より>
「昔からずっと食べてきたんだから」なんて話をしばしば耳にします。でも、そんなことを言うなら、「あなたが言う<昔>とは、いつのことですか?」と問いたいです。
 人類の歴史といったスパンで捉えれば、炭水化物を主食と呼んで、大量に摂るようになったのは、ごく最近のこと。人類としては、狩猟採集をしていた時代のほうが、圧倒的に長いわけです。
 仮に、日本史に限定しても、圧倒的に縄文時代が長いですよね。

この歴史のマクロ・ミクロ観にもはげしく共感。意識的にどこにフォーカスするか、なんですよね。「新しいものや身近なものに影響を受けて生きていきたい」というのも、ひとつのあり方。不健全なものじゃないし、自然。なのでそういう人は無理に「本格的なヨガ」とか目指さなくていいと思うし、むしろそういう人に苦言を呈しながら「本格的なヨガ」を語る人たちのメンタルが「イスラム国」と似た構造であることのほうが気になる。



<78ページ 「縄文時代」に回帰せよ?! より>
 もっとも、人間は本来的に、糖質に対する嗜好性があると思います。たとえば、甘み、酸味、辛味、苦味、うまみなど、いくつかの味がありますが、子どもがおいしいと感じるのは、まず、甘みなのだそうです。

そうそう。物質的に、ほっとくとタマスがデフォルトだと思うんだよなぁ。



<91ページ 「アンバランス」と「縛り」で体が目覚める より>
全身のバランスを取るために猫背になっているケースが大半なので、実は、そこだけを治せばいいという単純な話ではないんです。
 さらに言えば、「これがいい姿勢」という正解があるのかどうかも疑問です。一般に「いい姿勢」と思われていても、実際は、変に腰を反らせて尻を突き出したような姿勢も含まれていたりします。こうした姿勢は、むしろ、腰痛の原因になりかねません。

そなのよねぃ。



<97ページ 「自己不信」で頭でっかちな現代人 より>
外に基準を求めないと、どうしていいかわからない人は、案外多いです。「これだ」という内的な感覚が得られないと、結局、回数といった外的事実に答えを求めたくなる心理が働きます。
 身体論について、常に一定の関心が集まるのは、感覚よりも理屈が上位に来ると言いますか、理論を優先しがちな世の中に対する、アンチテーゼという側面もあるかもしてません。

これは、どうかなー。わたしは「理屈を避けたい人」ってのも多いと思っている。「あの先生が言ったから」「この先生に習ったから」という、ブランド志向の傾向も多いんじゃないかな。



<136ページ カタい頭は「一事が万事」より>
 不確定要素の強い、いわば非線形的な領域をどう見るか、どう対処するか。
 無理やりコントロールしようとする、コントロール願望の強い人は、神経症になりやすい傾向があるでしょう。本来ならばコントロールできないことを、できると思い込んでいるわけですから、精神を壊しやすいのは、当然の成り行きです。

夏目漱石の「行人」に出てくる一郎さんをすぐに想起してしまった。



<201ページ 自分の軸を持つ重要性とは? より>
「合っている」「間違っている」などと外側に転がっている理屈でジャッジするより、すぐにふくらはぎをさわってみるとか、見聞きしたことがいいと思えば、さっそく試してみる。こうした行動を起したうえで、合っているか否かを自分で判断する。それが正しい軸の求め方だと思います。

これは終盤からのピックアップ。著者さんのいいたいことをストレートに書いてあるところ。


この本で紹介されていた「簡単にできる自律訓練法」は、ヨガニードラのボディスキャンをヒザ下限定でやるような感じで、全般すごくヨギック。
問答から導き出すやりかたは『「哲学実技」のすすめ』みたいでかなり鋭い。わたしがまえに書いた「あまり強く誘わない理由」と、言いたいことが似ていると感じました。
これは、いい本です。


▼紙の本


▼なんとうれしいKindle版も!