2007年の本です。同著者さんの本では、3年前に「世界の下半身経済が儲かる理由」という本を紹介したことがあります。いろいろな題材をプレーンに取り扱えるって、すごいな、と思います。
インドへは3回行ったことがありますが、かなりヨガに偏った過ごし方をしているので、あまり経済事情にフォーカスしたことはこれまでの旅行記でも書くことはできず、歴史についても、ものすごく昔のこと(紀元前1200年とか)については詳しいかもしれませんが、近代には弱いし、特に政治分野については無知に近いレベル。とても勉強になりました。
何箇所か、引用紹介します。
<51ページ 世界を凌駕する金(ゴールド)の消費量 より>
金の需要のなかで最大の消費量となっているのは宝飾品で、全消費量の八割を占めるのだが、宝飾用の金消費が最も多い国はインドで、他国の消費量を凌駕する。
(中略:世界全体の6〜7%がインドによって占められている計算)
なぜ、金の産出量が少ないインドでこれほど金の消費が盛んなのだろうか。
ひとつの理由として、ヒンズー教の影響を指摘することができる。
ヒンズー教の世界においては、女性は土地資産を相続することができない。そのため農村部では、娘が結婚する際、親が花嫁に高価な金や銀のアクセサリーを持たせて他家に嫁がせることが一般的な風習となっている。
これはダウリー制度と呼ばれる。
またヒンズー教では、宝石などの光りモノは繁栄をもたらすとされ、ヒンズー教徒は金製の宝飾品を好んで身につけるという。(中略)
先に述べたように、ダウリー制度の存在がインドの膨大な金需要につながっているのだが、ダウリー制度は大きな問題を抱えている。女性の生家にとって非常に大きな経済負担となることだ。
インドには「娘を3人持つと家がつぶれる」という諺がある。(中略)
実際に、そのとおりのことが起こっており、ダウリー制度が原因で莫大な借金を抱える家庭は多い。女性の生家側は婿に対してだけでなく、一緒に暮らしている親族への贈り物も用意しなくてはならない。しかも金品の要求は結婚時だけでなく、何年にもわたって続く。女性の生家が拒否すると妻が虐待されたり、贈り物が少ないといって家に火をつけられたり、殺害されることさえある。
ダウリー制度は1961年に法律で禁止されているが、その慣習は農村部を中心に現在でも根強く残っている。男性優位の考え方がインド社会に深く浸透していることが、こうした悪習がなくならない大きな原因といえよう。
インドでは、女児の人口が大幅に減少しているが、その原因のひとつにダウリーの問題があると指摘されている。女性の地位を向上させていくにはダウリー制度を改めていくことが不可欠だ。
インドの女性は、本当によくあの暑さの中でアクセサリーをつけようと思うよなぁ、と感心してしまう。過去に、写真つきの旅行記でもコメントしたことがあります。(今年のインド旅行記「制服&おしゃれスナップ」)
ダウリーについては、過去にここでも何度か書いていますが、「インド人」という本の紹介・131ページ部分にも「これ(花嫁持参金殺人事件)は発展途上地域の無教育の人々が犯した珍しい凶悪犯罪ではなく、大都会の中流のインド人のあいだで起こっている事件なのである。」あるとおり。
「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」という映画でもっとリアルに感じることができる。とてもコメントに困る、インドの一面です。
<58ページ こんな意外な日本企業もインドに進出している! より>
インドのルピー紙幣は、実は日本の企業が生産している。生産を手がけるのは、小森コーポレーションだ。(中略)
現在、インド準備銀行の紙幣印刷工場はコルカタにあるが、その工場で日本の紙幣印刷機が稼働している。小森コーポレーションは、インドの印刷技術者を日本に招くとともに、日本人技術者をインドに派遣し、積極的に技術移転を進めている。
また、殺虫剤大手のフマキラーもインドで活躍している。
蒸し暑いインドでは、蚊を媒介としたマラリアが発生しやすく、国民にとって殺虫剤は必須アイテムだ。熱帯気候の東南アジア諸国ではマラリアの被害が甚大で、毎年多くの人がこの病気で命を落とす。
インドの場合、1年のうちでもとくに9月から11月にかけての雨季に大量の蚊が発生する。(中略)
また、日本の精米機器メーカーもインドに本格参入するようになった。
たとえば、広島に本拠を置く精米機器大手のサタケ。(中略)
これまでサタケは、インドから各国にコメを輸出する大手精米業者向けに精米機器を販売してきた。輸出用のコメは高級なものが多いため、精米機器も、サタケがつくっているような、値段が高くても品質の良いものが好まれる傾向が強い。
また近年では、インド国内でコメを食べる人が増えているので、同社は今後、国内の精米業者にも販路を拡大していく方針だ。
こういうこと、まったく知らなかったです。なるほどなぁ。フマキラーを応援したいが、アヒンサーと愛国心の板ばさみで揺れる。
<65ページ 世界に類をみないインド独自の経済発展 より>
厳格な身分制度であるカースト制度が残るインドでは、職業は世襲されるのだが、ITなどの新しい産業分野では、カーストに縛られることなく、誰もが自由にシステムエンジニアになれる。身分制度から脱却したいと考える若者の多くが、カーストの縛りのないIT産業で働こうと考えているのだ。
インドって本当にそういう面でストレスがないのがいい。便利だもの……。Facebookの利用率もすごい。びっくりするくらい、すぐインド人だらけになる(笑)。
<70ページ 欧米市場と連結して成長するソフトウェア業界 より>
IT産業の中で、今後、飛躍的な成長が期待されるのがアウトソーシング・ビジネスだ。先進国企業のインドへのアウトソースはすでに1990年代前半から始まっていたが、インドがアウトソースの拠点として急成長するのは、アメリカで2001年9月に発生した同時多発テロ事件以降のことである。
この事件を契機に、アメリカ政府が外国人へのビザ発給に制限を加えたため、それまでシリコンバレーなどに出稼ぎに出ていた優秀なインド人IT技術者がインド国内へと回帰し、先進国企業からの外部受託というかたちでコンピュータ・ソフトウェアの開発、ネットワークの構築、会計事務、電子決済サービス、人事管理などを本格的に手がけるようになった。(中略)
先進国企業のアウトソーシング先としては、インドのほかカナダやアイルランド、イスラエル、南アフリカ、フィリピンなどが有名であるが、インドはIT技術者の能力と賃金水準の両面で、他のアウトソーシング先と比べて圧倒的な競争力を持つ。
インド人は、英語力に優れているうえ、教育水準も高く、IT職種で重要となる理数系に非常に強い。
しかも優秀でありながら、1人あたりの雇用コストは、年間わずか5000ドル程度とフィリピンよりも低廉であり、アメリカの技術者の最低賃金の20%程度にすぎない。
インドがアウトソースの拠点として急成長するまでの経緯に同時多発テロの影響があったとは、知らなかった。
<81ページ IT産業の発展をもたらした抜群の英語力と数学力 より>
インドの数学教育が優れているのは、計算結果を単に暗記させるだけでなく、同時に論理的な思考力を育てていく点だ。
数学の授業におけるカリキュラムは論理力が身につく証明問題を主体としたものとなっている。初等教育の段階で数学的思考力のセンスを身につけるため、優秀なエンジニアが多数誕生するといえる。
毎回インドへ行くたびにお世話になっている兄弟、ラフル&ロヒトは歳も近いのだけど、思考回路のシンクロのしかたの点で、格段にストレスなくつきあえる。ウェブサイトを見ながらビジネスの話をしたりしているとき、英語をほとんど話せないなかでやりとりしているのに、日本人同士で話しているときとは別のショートカット回路で話せる。頭の中で三次元を二次元に落とす作業が、ちょっと日本人の感覚と違うんだろうな。
<108ページ インド財閥、その実力は? より>
パルシーは、ペルシア系ゾロアスター教徒の集団で、ムンバイを中心に古くから有力商人を輩出してきた。ゾロアウター教とは、火を神聖視して礼拝する宗教である。
パルシーは、もともとは古代イランの人々である。イランでは、7世紀に、ササン朝ペルシアがイスラム教徒に征服され、国民の大多数が、国教であったゾロアスター教(拝火教)からイスラム教へと改宗させられた、イスラム教への改宗を拒否した人々の一部が、ペルシアを追われて、インドに移り住むようになったのである。(中略)
最近では、「鳥葬」を行うことが難しくなってきている。都市化の進展によって遺体をついばむ役割を果たすハゲワシの数が激減しているのだ。
(中略)
ところで、インドに移住したパルシーの人々は積極的に経済活動を行い、インド最大の財閥、タタ財閥を形成した。
タタ財閥の歴史は古く、ジャムセトジーが1868年に創業した。
ジャムセトジーは貿易商から身をおこしている。ムンバイにあるタージマハル・ホテルは、1903年にジャムセトジーによって設立されたものだ。
彼は、友人とイギリス系のホテルに入ろうとしたところ、インド人であるという理由でホテルの利用を拒否された。これに激怒した彼は、「インド人も利用できる豪華なホテルを」ということで、タージマハル・ホテルを建てた。タタ・グループ傘下の企業は、鉄鋼、自動車、電力、コンピュータなどあらゆる業種でトップに君臨している。
ハゲワシの危機とは。インドで自動車を見ていると、TATAのロゴだらけですよ。
<125ページ 中印国境紛争と印パ戦争の "傷跡" より>
インドが自国の安全保障上、とくに警戒しているのは、核保有国の中国である。インドは1962年の中印国境紛争で得中国に大敗した苦い経験がある。
中印国境紛争とはどのようなものだったのか。
中国とインドの緩衝地帯としての役割を果たしていたチベットは、1951年5月23日にチベット平和解放に関する17条協定を中国共産党との間に結び、中国の指導下に入った。
中国政府の圧制に対して不満をつのらせたチベット民衆は、1957年5月からチベットに駐在していた中国軍を襲撃するなど中国共産党に抵抗する。
そして1959円3月10日、民衆はチベットの中国からのからの独立を訴えて武装決起した。民衆の反乱は中国軍によってただちに鎮圧されるが、その際、チベット仏教界の最高指導者ダライ・ラマ14世は、首都ラサを脱出して、インドへの亡命を図った。
インド政府がダライ・ラマ14世を礼節をつくして迎え入れると、中国政府がこれを激しく非難、中国とインドの対立は決定的となる。
事態を打開するため中国の周恩来首相が首脳会議の開催をインドに呼びかけるが実現せず、1962年10月、ついに中印国境紛争が勃発する。中国軍とインド軍の力の差は歴然で、インド軍は各地で中国軍との戦いに敗れていく。
両国間の国境紛争は現在も続いており、中国は核ミサイルなどでインド全域を射程にとらえている。
中国はパキスタンに核ミサイルなどを供与していたともいわれており、中国やパキスタンが核兵器を保有する限り、どのような政権になってもインドが安全保障上、核保有を放棄することは考えづらい状況にある。
ダライ・ラマ氏の亡命周辺のことについては、山際素男さんの「チベット問題」などを読んで少し知っていたのですが、核の問題については不勉強でした。知っておきたい近隣の歴史メモ。
<135ページ 急速に近代化が進むインドの都市 より>
ところで、ニューデリーにはインド門(インディアン・ゲート)がある。これは、第1次世界大戦でイギリス側について戦死したインド兵の記念に建てられたものである。今では、インドのイギリスからの独立を象徴する建造物になっている。
紛らわしいのだが、実はムンバイにも、インドの門(ゲート・オブ・インディア)という高さ26メートルの巨大な建造物がある。こrは、1911年にイギリス王ジョージ5世とメアリー王妃の訪印を記念して建てられたもの、いわばイギリスによるインドの植民地化を象徴する建造物である。
だから、「インディアン・ゲート」のことを間違って「ゲート・オブ・インディア」と発音すると、たちまちニューデリーの地元のインド人に厳しく訂正される。名前は似ているが、「インディアン・ゲート」と「ゲート・オブ・インディア」では、その意味する内容がまさに180度異なるからだ。
おっと。気をつけなくては。
<178ページ 相次ぐテロ事件で高まる地政学的リスク より>
インドで発生するテロ事件の多くは、カシミールをめぐるインドとパキスタンの対立が原因である。
インドとパキスタンの両国は、イギリスからの独立を達成した1947年8月以来、カシミール地方の領有権をめぐって対立してきた。カシミール地方は、カラコルム山脈の南側に広がる山岳地帯で、高級毛織物カシミアの産地として有名である。
両国が独立した際、600近くに及ぶ周辺の小国は物理的な距離や宗教に基づいて、ヒンズー教中心のインドか、イスラム教中心のパキスタンへと帰属していった。
しかしカシミールの事情は複雑で、大半の民族はイスラム教徒だったが、マハラジャ(藩主)はヒンズー教徒であった。このため、カシミールのマハラジャは印パ両国に属さず、独立する道を選択しようとした。
しかし、パキスタンはこれを認めず、カシミールの独立を阻止するために1947年10月、同地方への武力侵攻を開始した。カシミールのマハラジャは、統治権がインドに帰属することを条件に、軍事支援を求めた。
この結果、パキスタンとインドは全面的に対立することとなり、第1次印パ戦争(1947〜1949年)へと突入する。この戦争は国際連合の仲裁によって停戦となり、カシミール地方は南北に分割されて印パ両国に統治されることが決まった。
しかし、その後も、カシミールの領有権をめぐる印パ両国の泥沼の争いは続く。(中略)
2003年にインドのバジパイ首相(当時)が対話を呼びかけて以来、両国は関係改善のための対話を続けている。
2005年4月には、インドのシン首相とパキスタンのムシャラフ大統領がニューデリーで会談し、両国の間で道路、鉄道の往来を活発化させ、貿易促進のための委員会を復活させることで合意した。
さらに、2005年10月8日に発生したパキスタン北部の大地震では、カシミール地方が大きな被害を受けたため、インドからの救援物資などの輸送を目的として、停戦ラインを両国の住民が往来することを認めることとなった。
「大半の民族はイスラム教徒だったが、マハラジャ(藩主)はヒンズー教徒」などのあたりが、ニュースの数行では感覚的に追いきれず、「よくわからないけど、領土と宗教がからみあってもめているみたい」という大雑把な理解でギブしてしまいがち。勉強になりました。
男尊女卑のようで大統領が女性だったり、インドは「こういう国民性の国」というふうにまとめにくい印象なのだけど、経済に結びつく部分では「ITに向いた思考回路の男性が多い」というのを、ものすごく感じます。
今回の感想を読んでもう少し知りたくなった人は、過去に紹介した、ギーターンジャリ・スーザン コラナドさんの著書「インド人」の感想に、にこってりインド文化の紹介がありますので、ご参考にどうぞ。
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