先日紹介した「人間の頂」と同じ著者さんの詩集。図書館で借りました。
いつもいつも修行モードにいた著者さんが、2008年の2月に加島祥造さんとバリ島へ行き、別に何をするのでもなく一緒に空を見、海を見、アイスクリームを食べて、そんなことをして過ごしているうちに、海の下から「これでいいのだ」という変な声がして、この本を書く気になったのだそうです。
というわけで、加島さんファンの方にはもう、めちゃくちゃ気になる本ですね。
ちょうど昨年の今ごろ、『瞑想中につい浮かぶ「天才バカボン」の歌詞と、仏教的トリビア』という日記を書いたのですが、その「これでいいのだ」ドンズバの本です。瞑想中に浮かぶほど、あのメロディーが刷り込まれまくっている日本人。「はじめ人間ギャートルズ」もそうだけど、アニメの力ってすごいわぁ。
わくわくしますね! 以下は、グッときた詩。
これは人によってピックアップするものがわかれそうな本です。
<5ページ はじめに より>
バカボンとはサンスクリットでブッダのことで
天才を意味します。
自己の意識を自由にあやつる天才。
これさえ唱えていれば天才になれるような気がします。
これでいいのだを手にしたら
すでにあなたは天才バカボンです。
んまぁ! どうせなら美人のママのほうがいいですねぇ(笑)
<22ページより>
先のことなど心配しない
まだはじまっていない
だから今はこれでいいのだ ──
これでいいのだ ──
そう、はじまってないのね。
<40ページより>
これでいいのだ
といっていると
求めなくなるのだ
だから
これでいいのだ!
求めなくなると、ひとりの時間が増えます。
<48ページより>
これでいいのだ
といっていると
なんだかあの世になってしまい
この世はなくなってしまうのだ
だから
これでいいのだ!
そうだそうだー。
って、これコメントじゃなくて合いの手ですね(笑)
ちょいな、ちょ〜いな〜♪
<57ページより>
これでいいのだ
といっていると
人は安心する
安心した人を見て他も安心する
だから
これでいいのだ!
ここ、かなり好きです。ハッタリの正しい用法。
<63ページより>
これでいいのだ
といっていると
失ってもすぐに元に戻ってくる
だって一回手放してしまっているから
だから
これでいいのだ!
そうそう、もう「無くなってる」のよね。残像を欲しがってもしょうがない。
<87ページより>
これでいいいのだ
といっていると
思考はとまり
考え過ぎなくなる
そうすると食欲もとまる
だから
これでいいのだ!
食べたいのか? と考えた瞬間から執着は始まっている。
食べなきゃ、なんてルールも、そもそもない。
<112ページより>
これでいいのだ
といっていると
聞こえなかった音も聞こえてくる
耳がちがってくる
だから
これでいいのだ!
ミラレパさんも、「耳で聞くな、目で見るな」の修行をされていましたね。黒魔術だけど(笑)。
<114ページより>
これでいいのだ
といっていると
人と比べたりしなくなる
自分自身も他人にも
だから
これでいいのだ!
はいヨガきましたー。はいここー。
<115ページより>
これでいいのだ
といっていると
社会の中で生きながら
幽体離脱してしまう
だから
これでいいのだ!
幽体離脱で思い出しましたが
「ゆーたいりだつー!」という双子さんの芸、あの「自然な離脱角度」にはかなりの丹田力を要します。
道場でヨガ仲間とやってみて確認しました。
そんだけ。
<164ページより>
迷ったら
迷わずに
必ず楽しいことをやる
そういう判断でいい
それでいいのだ
あらすてき。
<171ページより>
目に見えるものを変え
自分の心臓の鼓動を聞く
他人の呼吸もすいこみ
まわりと一体となる
いよいよ身体内観モードに入ってきますよ。
<175ページより>
人がきれいになるとどうなる
皮膚は腸の鏡
舌は胃の鏡
目は肝臓の鏡
手は腎機能
手を握って顔を見れば
その人がわかってしまう
お、沖先生!(笑)
<181ページより>
ゆっくり呼吸を吐いてすって
しているとその昔の目が
すぐに戻ってきます
まだまだすてたもんじゃない
ヨーガだー!
さて。最後の項目の紹介に入る前に。
これはブログに書いちゃっていいものか、ちょっと考えたのですが、けっこう書いている人がいるんですねぇ(笑)。
なので、そのまま書いちゃうことにしました。
バカボンのパパは、なぜ「バカボンのパパ」なのか。
<186ページ バカボン秘話 より>
バカボンのパパは早稲田大学のとなりのバカダ大学の秀才だった。
同期のママと結婚して子供ができた。
うれしかったパパは病院にかけつけると、生まれた子供は頭のうしろがぜっぺきのダウン症の子供だった。
ショックのパパはふらふらと道に出て、車にはねらてしまう。
つよく頭を打ったパパは起き上がった時に一言。「これでいいのだ」
わしはバカボンのパパになるのだとさけぶ。
以後、名前もなくなりバカボンのパパになり、いつでもこれでいいのだといって歩くようになったという。これでいいのだ以外には、タリラリラーンのタリラリラーンというだけ、この言葉は実はチベットのマントラなのだ。
緑ターラの真言で、明治時代に日本へはいって能楽にとりいれられた。
これを読んだとき、どきどきしました。
詩の流れがだんだん「実践」にはいっていくところが、かなりツボでした。