以前平岩弓枝さんの西遊記の「上巻」「下巻」の紹介をしましたが、西遊記はわたしの幼少期のアイデンティティに多大なる影響を及ぼしたドラマで、以降日本のもの、海外のものさまざまな映像、本に触れてきました。(画像は部屋に貼ってある古ぅ〜いカレンダー)
ヨガをはじめてからさらに深く読んでみて気づいたことが、「肉体という制限=自我(エゴ)」についての学びがあること。
平岩さんの下巻の感想に「この弟子たちは、お師匠さんがいなければ、雲でひとっとび。わざわざ面倒な旅など必要がないのだけれど、お師匠さんとともに、人間の足に合わせて旅をする。その使命に気づいていく過程も、なにげない描き方なのですが、じんわり沁みます。」と書いたのですが、つい先日紹介した「パラマハンサ・ヨガナンダとの対話」のなかに、同じことを示す言葉があります。
自我とは肉体に結びつけられた魂のことです
平岩弓枝さんの西遊記では、この言葉と同じようなことを「観世音菩薩」が発する場面があります。