うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

続ヨーガ禅道話 佐保田鶴治 著

続 ヨーガ禅道話
昨日紹介した本の続編です。表紙の写真を撮りそびれていたと思ったら、前編の写真が携帯の本体メモリの中から出てきました。
この続巻では「外教と仏教の関係」の章が非常に興味深い内容でした。「なぜ仏教が滅んだのでしょうか〜」から始まるフレーズの回答が、佐保田先生らしい語り口で、かつ、かなりなごみます。なんだか身近な「国民的ヨーガおじいちゃん」といった感じなのですが、恐ろしいことにそのチャームはこの続編で、ものすごい形で炸裂します。こうご期待。
今回も長くなりますが、メモしたかったところを紹介します。

<9ページ ヨーガの使命 より>
 例の、石油ショックで先進国はみな不景気になりました。日本よりもずっとひどい国もありますし、日本ほどではない国もありますが、どの国もひどい目に会ったことは事実です。これを表面的にみるとなるほど石油ショックですが、もっとウラの意味、歴史の意味を探すと、これはやはり人類に課せられた一つの試練ではないかと思います。もしも、この不景気以前の状態が今後百年も続いたら、人類はいっぺんにピタッと滅びるかもしれません。そうならないようにと、神様、あるいは宇宙の霊、宇宙の大霊が不景気を人類にもたらして警告を出しているという考え方もできます。

神道的なコメント。

<31ページ 心霊治療は本当か より>
(補記:ノーラン=『信仰治療の秘密』の著者 ウイリアム・ノーラン/アメリカの外科医)
ノーランの結論は、不思議というのは認めるんです。が、しかし不思議というのはどこにあるかというと、人間の心と体が不思議なのだと言います。この結論はなかなか賢明な結論だと思います。私はそういうもの以外の力が及んで病気が治ることもあり得ると思います。そうした神とか霊の力が及ぶとしても、人間の心や体にそれを受け容れる素質があるから感ずるわけですから、根本から言いますとわれわれの心と体が不思議なんです。

「それを受け容れる素質があるから感ずる」って、こういう言い方で書かれると、本当に「あ、そうだ」ってなる。このへんが、語り口の魅力なんだよなぁ。

<57ページ 心のふれ合い より>
 般若心経というお経は、よく読んでみると、無という言葉がいっぱい出てくるんです。"ない" という字がね。無い、無い、無い、無いと、なんでもかんでも無いという無いものづくし、これが般若心経なんです。なんでそんなものを唱えたら役に立つかといいますとね、これは、一つはその、無い、無い、なんでもかんでも否定していくというそういう行き方が役に立つんです。否定、否定、否定と続けていくのは、なんのためにするのかと言うと、最も大きなものを肯定するためにやるんですけれども、しかし、その否定していくということが、われわれのむすぼれた心をほどいていくんです。

これをさらにグググーーーッと掘り下げた「般若心経の真実」。必読です。

<82ページ 日頃のヨーガは基礎工事 より>
バクティはギャンブルのことではありません。バクティというのは、宇宙最高の神様である自在神(イーシュヴァラ)を信仰して、その神様を心から敬愛することです。一生涯自分自身の全生命をこの最高神に捧げるつもりで、この人生を送っていく。これがバクティ・ヨーガです。

キターーー! スワミ・ギャグ。む、無理〜! 
師はわたくしの修練度をお試しになっておられる。これに耐えうる丹田修行の道は、長すぎます。

<113ページ 病床で考えた妄想 より>
病気をやっつけてやろうという考え方で病気に対処するというのは、実にまずい対処の仕方なんで、病気は味方である。私はいつも病気は味方であると思うんですがね。いったい誰が病気するかというと自分が病気するんです。自分を離れて病気はどこにもない。自分の体が病気するんです、病気は自分のものなんです。自分のものとしてこれを取扱っていく、これを大事にする。例えば熱が出たら、熱をやっつけると考えないで熱を大事にする。で今の医学というのはやっぱりヨーロッパ流の考え方ですからね、異端邪説は排斥するという考え方なんです。だから今の医学は敵をつくらんといかんのです。

野口晴哉さんの「風邪の効用」も、あわせておすすめ。

<131ページ ヨーガの精神 より>
 先程、サット・サンガの話が出ましたが、サット・サンガとはヨーガをやる人の集り、ヨーガをやる人の心のつながりを言います。この心のつながりの範囲をどんどん大きくしてほしいと私は思います。ここにお集まりの方のなかにはいないと思いますが、自分だけがヨーガで健康になり、スマートにもなればそれでいいと考える人は本当のヨーガ者ではありません。本当にヨーガをやる人は、以前、私の著書に書いておいたように、「自分がヨーガをやるということは、人のためにやる」ことです。人を幸福にするためにヨーガをやると言ってもいいでしょう。自分だけがよくなればいいという考え方は、ヨーガの精神ではありません。

「人を幸福にするためにヨーガをやる」すてきだ!

<142ページ 四匹の鬼 より>
みなさんがヨーガを覚えたら、簡単な体操でよい、簡易体操でよいのですよ、忙しい人はね。むつかしいのをたくさん習って実際には忙しくてやれないという人よりは、忙しくて簡易体操だけ覚えておきましょうと、そして毎日やりましょうという人のほうが賢明なのです。するとだんだん健康になってきまして、その人が老人になった時には素晴らしい良い生涯になるのです。

ウンウン。ボリュームよりも、難易度よりも、継続。

<162ページ 外教と仏教の関係 より>
 京大に在学中、私は宗教学を学びました。卒業後は急転回してインド学を学び、その後、だんだんに仏教をやろうと思っているうちに年をとってしまいました。今、過去を振り返ってみますと、外道をやったことによって、仏教だけをやった人よりも、私のほうがよくわかることもあることに気がつきました。
 例えば、インド哲学史や仏教史で龍樹は世親より以前に出てきますが、龍樹菩薩の「中論」がなぜ世親の「唯識論」まで発展するかは仏教の立場からだけではわかりませんでした。ただ、並べて書いてあるだけです。ところが、外教のほうからこの問題を考えますと、その間に外教の影響があることがわかります。これは我田引水かもしれませんが、そこにはヨーガの思想の影響が考えられるのです。なぜヨーガの思想が仏教に影響したかというと、ヨーガには独自の心理学があるからです。ヨーガは一つの瞑想の修行法ですが、瞑想の心理学的分析がヨーガの特徴です。龍樹の中観思想は論理学的な思想で、けっして心理学とはいえませんが、「空」の中観思想からヨーガの影響を受けて心理学な方向に転じ、最後に唯識学に入っていくということが、やはり外教をやってみたからわかっと私は考えています。論理学的な中観派から、超心理学的思想の唯識学への流れは、外教の影響を考えずには説明がつきません。ですから、仏教思想史は外教のほうからも見ないとよくわからない部分もあることに、私は最近になってようやく気がつきました。外教がわかると仏教もわかり、また、逆のことも言えると思います。外教が仏教の発達に影響を与えただけではなく、仏教の影響によって、外教のバラモン系の思想も発達したのですから。
 この二つの宗教、バラモン系のインド教の思想と、仏陀の仏教、ことに大乗仏教が、インドではあい並んで互いに影響し合いながら発達し、最後に仏教は密教的な真言宗となり、インド教も密教的な傾向のものとなりました。外教と仏教は互いに関係しながら発達していったのです。
 インドでなぜ仏教が滅んだかという問題については、学者によっていろいろな意見があります。仏教がインドの階級思想である「カースト制度」を否定したから滅んだという意見が多いようですが、私はそうは思いません。大乗仏教は、この社会身分制度をある程度、寛大に認めたのではないか、と思います。では、なぜ仏教が滅んだのでしょうか。私は、大乗仏教とインド教があまりにも似てしまい、インド人にみわけがつかなくなったからだ、と考えています。

この最後のところが、とってもとっても興味深い! インド人にみわけがつかなくなっちゃったから、ブッダはヴィシュヌの化身ってことにしちゃったのかい? もー、困るとなんでもすぐ化身にするんだからー。
だけど、実際インドで「わたしは、ブッダのことも同様に尊敬しています」なんてヒンズー教の人に挨拶されたりすると(インドの人々は、日本人は全員仏教徒だと思ってるくらいの勢いに感じました)、ものすごく平和的な共存の手法なのかな、、、と思ったりもしました。もはやそんなんでもなく「わけわかんなくなっちゃった!」というのは、こう考えると非常に納得いくものがある。

<165ページ 外教と仏教の関係 より>
 インドでは、宗教と哲学は別ではありません。宗教即哲学なのです。ここがヨーロッパと違うところです。ヨーロッパでは宗教はキリスト教、哲学はギリシャ・ローマ系統の思想として区別していますが、これはヨーロッパだけの特殊事情であって、高次元の宗教は哲学ですし、宗教ではない哲学は本物ではありません。

宗教即哲学、神様兼アイドル。なんか、そんな不思議なノリを感じました。「ツヨシ派? コーイチ派?」と同じノリで、「ヴィシュヌ派? シヴァ派?」って聞かれるような、あの感じ。

<168ページ 外教と仏教の関係 より>
 ヨーロッパに対し東洋では、今から二千六、七百年前には主体性の哲学が確立していました。主体性の哲学とは科学と逆の考え方です。ウパニシャッドのなかに「神様は一般の人間の穴(目や鼻や口など)を外に向けてつくっているので、誰もが外を見ずに内を見る」ともつけ加えられていますが、ここが重要なのです。ヨーロッパ人は外を見るが、東洋人は内を見ようとする、これが主体性の哲学の一つの説明です。

入ってくるものは見られるけど、出ていくものは、つかめない。という感覚が東洋でしょうか。呼吸にたとえるとわかりやすいかな。

<169ページ 外教と仏教の関係 より>
 心理学はなるほど人間の心を研究する学問ですから、自分の内を見るのだとみなさんは思うでしょうが、そうではありません。人間の心を一度、外に出してからながめるのが心理学の研究です。内なる心を外に出して客観的に研究するのですから、心理学をどれほど深く研究しても哲学にはなりません。ですから教の学問をどれほど深く研究しても哲学的真理を知ることはできないのです。

「人間の心を一度、外に出してからながめる」、たしかに! 心の病について語られるときも、だいたいそうですもんね。そりゃあ、理解できないわけだ。

<207ページ 大宇宙と小宇宙 より>
 宇宙には心がある。自然科学者なら、そんな、宇宙に心なんてあるものか。一切は物理の法則によって動いているものであって、そんなものに心はない、と言うでしょう。しかし、それは浅はかな考え方であって、やはり宇宙には心がある。大宇宙には大宇宙の心がある、われわれの小宇宙(ここでは体のことを指しています)に心があるように、大宇宙にも心がある。大宇宙の自我というのがある、こういうことが考えられるわけですよ。そうしますと、その大宇宙の心、大宇宙の自我というものにわれわれは接したい、或いはそれと対面したい、或いはそれと一つになってしまいたい、こういうことが考えられてくるんですね。そういうことを本気で考える人が昔から世の中にはおるんですね。道元さんなんかもその一人だと思います。ヨーガをやる人はそういうことを考えるようになるんです。瞑想でもって何をねらうかというと、大宇宙の心と自分の心とが一つになることをねらっているわけです。それにはどうするかっていうことがヨーガや禅のねらいです。すべての非常に深い宗教的瞑想のねらいはここにある。
 道元さんの言葉で私の好きな言葉がたくさんあるんです。道元さんという人は、ある学者の説によると、悟りの境地をそのままあらわそうとした人だということですが、あの人の『正法眼蔵』なんか読んでもなかなかわかりませんね。ふつうわれわれの頭で、ふつうわれわれの言葉で理解しようとしても、道元さんの言われることはわからんですよ。わかったような顔をしてる人があるけれども、どうだかなあと思うんです。道元さんの言葉がわかるためには、言葉の上でなんぼせんさくしても駄目、言葉以外のものがつかめないとわからんのじゃないかと思うんです。そのなかに多少わかったと思うこともあります。
 瞑想はどんなふうにやるかというと、考えて考えて考え抜くわけです。そのことを道元さんは、「自己を習う」といっています。
「仏法を習うは自己を習うなり」自分自身を相手にしてやるんだ、ということです。自己以外のものを相手にするんじゃないんです。ほかの学問は自分以外のものを相手にするんですけれども、仏教は自分をあいてにするんだと言われるのです。「自分を相手にして習う」と言われる。同じことを、何べんでも何べんでも飽きずに研究、考えることが「習う」ということです。自分というものを何べんも何べんも飽きずに考えておると、しまいには自分を忘れてしまうというんです。自分というものは行方不明になってしまう。これはおそらく道元さんのおしゃった言葉の意味だったと思います。「自分を忘るるなり」とは、今まではわたしが考えるのだと、われがいつもあったんだけれど、いつのまにかそのわれがどこやら行方不明になってしまう。最後にわれが行方不明になると、その時に「万法に証せらるるなり」と書いてあります。
(中略)行方不明になったところへ、宇宙がひょっくり入りこんできて、どかっと坐りこんで、そしてじーっと見つめている、そいういう気持を「万法に証せらるるなり」と言われたんでしょう。

佐保田博士は道元禅師とラマナ・マハルシ師のことばをよく引用されますが、この説明の流れからもうかがえますね。そして、それをこのようにとてもわかりやすい現代語で説明してくれている。本当にありがたいことです。


この2冊の本は、ヨーガを神秘的なものを期待させるものとして描かず、それでありながら、インドの思想の源流からまっすぐに、わかりやすい現代口語調で解説をしてくれている書として、すばらしい本だと思います。

▼おまけ 佐保田先生の本
ヨーガ根本教典
続・ヨーガ根本教典
ウパニシャッドからヨーガへ
ヨーガ(NHKやさしい健康体操)
般若心経の真実
ヨーガ禅道話

続 ヨーガ禅道話
続 ヨーガ禅道話
posted with amazlet at 09.07.31
佐保田 鶴治
人文書院
売り上げランキング: 39969