うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

チベット聖者の教え エリック=エマニュエル・シュミット 著

ヨガ仲間が貸してくれた一冊。
パリ、チベット、900年の時を経た輪廻のファンタジーチベット密教の教えの、こんな描き方があったのかと、うちこはいたく感動しました。フランス人、すごいっす。文学ってすばらしい。久しぶりに「文学」に感動しました。こういうのを「エスプリ」っていうんでしょうか。「エスプリ」ということばには、「霊魂」という意味もあるそうです。まさに。これは、魂のおはなし。ぜひたくさんの人に読んでいただきたい、とっても素敵な絵本です。
ちょっと紹介の読み解きがややこしくなると思うので、登場人物を紹介しておきます。

登場人物は「スヴァスティカ」「シモン」「ミラレパ」「マルパ」。
 スヴァスティカは、ミラレパのおじ。
 スヴァスティカは、ミラレパと戦った。
 ミラレパは、マルパのもとで修行を続けた。
 ミラレパは、もっとも偉大な聖者と呼ばれるヨギとなった。
 シモンは、現代に生きるフランス人の男。
 シモンは、900年後のスヴァスティカ。
 シモンは、ミラレパの話を10万回はなしたあかつきに、その輪廻から、サンサーラから逃れられる・・・


お話の一部を少しだけ紹介します。

<20ページ>
「尊師、偉大なるマルパよ。私は恐ろしい罪を犯しました」
「罪を犯したことを私に知らせにくるな。私が命じたわけではない」
「あなたにこの身(からだ)と口(ことば)と意(こころ)を捧げます。代わりに、食べ物と着る物と教えを授けてください。生きているこの身に即して成仏の境地へと至る道を教えてください」
 マルパはいらだたしげに服のほこりを払うと、目を閉じてこう答えた。
「おまえの身(からだ)と口(ことば)と意(こころ)を受け取ろう。だが、食べ物と着る物を与えたうえに教えを授けることはできない。私から食べ物と着る物を受け取り、ほかの者に教えを乞うか、さもなければ、私から教えを受け、食べ物と着る物をよそで探すか、どちらか選ぶがいい」
「教えをとります」


<36ページ>
 マルパは必要な食べ物を用意し、南の断崖にある洞穴へミラレパを連れていった。そこはトラの古い巣穴だった。マルパは灯明に油を入れて火をつけ、ミラレパの頭の上に置いた。
「座ったまま、昼も夜も瞑想するのだ。すこしでも動いたら、灯明の火は消え、おまえは暗闇に包まれる」
「灯明の火が消えても、日の光があります」
「それはない。穴を塞いでしまうから」
マルパはそう言うと、煉瓦と漆喰を使ってみずから入口を塞いだ。

(中略:十一ヶ月の瞑想後)
「この十一ヶ月のあいだに私からなにを学んだ?」(マルパ)(以下の主語はミラレパ)
 実際、なにを学んだのだろう? この十一ヶ月間、その場にいない師から、どんな教えを引き出したのだろう?
 わかったのは、真言を繰り返すだけではだめで、悟りを得るには修行あるのみだということ。善を行うには悪を行うよりも強い意志を要すること。私の体はもろくて弱い船で、罪を重ねれば沈んでしまうこと。物事に執着せず、自分を捨て、無私無欲に生きれば、荷が軽くなり、よい港に導かれること。以前の私は人ではなく、二本脚で立つ、体毛の薄い、しゃべる生き物にすぎなかったこともわかった。私にとって、人は道の果てにあるもの、遠くにある的(まと)だった。いつか私は人になれるのだろうか……。
 私はマルパのもとで修行を続けた。


<43ページ>ここでの主語は「ミラレパ」
欲が強すぎると魂が乱れる。
私は母に会いたいという欲が強すぎた。その欲が何週間も私から離れなかった。
《足ることを知り、欲を抑えられる者は、人の師となる》というマルパの言葉がよみがえった。私にはその言葉が必要だった。
《なにひとつ永遠なものはない、なにひとつ実体のあるものはない》


<47ページ>ここでの主語は「シモン」と、シモンの記憶の「スヴァスティカ」
 晩年のこと……私がスヴァスティカの肉体で過ごした最後のころのことはよく覚えていません。私は重病人で、立っていることさえままならなかった。人々が遠慮がちに言うように、私はとても弱っていた。せめて、そのとおりならよかったんです。弱っていたら。ところが、私には弱っていないものが二つあった。ミラレパへの憎しみと死の恐怖です。
 ミラレパは人里離れた〈白い岩〉と呼ばれる洞窟へ引きこもった。かたいござの上に結跏趺坐し、沈思黙考した。もはやイラクサしか食べず、体は骸骨のようにやせ細り、イラクサのように青くなった。髪の毛さえも青くなり、まるで屍のようだった。身につけているものといえば、腰に巻いた穴だらけの古い布だけ。ほかになにもないので、木綿の衣をまとった男、〈レパ〉と呼ばれていた。偉大な行者がいるという評判が立ち、弟子になりたいという人たちが洞窟に殺到した。こうした噂に、私は槍で千回突かれるよりも傷ついた。


<50ページ>ここでの主語は「スヴァスティカ」
 死の恐怖が増すほどに、私はミラレパを憎んだ。死の想念とミラレパに対する思いはひとつに結ばれていきました。私がしがみついているすべてのものからミラレパは離れることができている。金持ちの目には貧しく、若い娘の目には醜く、強い者の目には弱く見えるかもしれないけれど、骨と皮だけになっても、ミラレパが幸せであることを私は知っていました。なにごとにも執着せず、腰にまとう穴だらけの布にさえ執着しない。聞いた話では、真っ裸でうろついているとか。真っ裸で、青い体をして。
 真っ裸で、青い体……。屍のように。けれども、ほんとうに生きているのはミラレパで、自分は死ぬ身であることを、私は知っていました。

今回は本の特性上、各箇所へのコメントはしませんが、「身(からだ)と口(ことば)と意(こころ)」の三密など、チベット密教の要素がしっかりと入りながら、物語として、ファンタジーとして秀逸。映画を観た後のような気分です。


さて。
ただいま九州国立博物館の特別展『聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝』で、ミラレパさんの像を拝めるそうです。九州のみなさんは、ぜひ。(★追記:東京にもいらっしゃいました!
<博物館サイトから引用>

チベットで一番有名なヨガ行者で詩人でもあるミラレパ(1040〜1123年)は、苦行の激しさを示すように肋骨(ろっこつ)が浮き出て見えるほど痩(や)せた姿で、瞑想(めいそう)に耽(ふ)ける人が用いるというレイヨウの毛皮の上に坐っている。大訳経官(だいやくきょうかん)マルパ(1012〜1096年)の一番弟子でカギュ派の隆盛に貢献したが、若い頃、黒魔術を利用して、財産、家、土地をだまし取った親戚に復讐したという。その後、深く反省し、師マルパから与えられた6年間にわたる無理難題を果たしたことによって、悪行から清められ、ついに悟りを開いたという。
 左膝を折って坐り、立てた右膝に右肘をつき、右耳に手を当てながら、霊感の声を聞き、仏法の歌を歌い、聴く者にチベット土着の言葉による詩吟の美しさを語ったという。また、イラクサの葉だけを食べ続けたため、体が緑色になったと伝える。


チベット聖者の教え
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