うちこのヨガ日記

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チベットに生まれて ― 或る活仏の苦難の半生(後半) チョギャム・トゥルンパ 著

チベットに生まれて―或る活仏の苦難の
先日紹介した本の後半です。壮絶な亡命巡礼の旅。次々と中国軍に侵略されていくチベットの様子が描かれています。前回紹介した最後の「身を隠す」の章の時点で、中国軍が先代の第十代トゥルンパ・トュルクの墓にまで押し入り、防腐保存された遺体を晒しものにしたというエピソードがありましたが、チベット問題で語られる「宗教的に精神的なダメージを与えるために中国軍が行なっていること」の性質には、本当に恐ろしいものがある。
山際素男氏の「チベット問題」には、拷問を加えた後に全裸の尼僧を人々に晒し、僧侶への尊敬心を民衆から消し去ろうとする中国の行いが描かれていましたが、この本に出てくる時代は僧院や仏像の破壊、僧侶の虐殺などが主に描かれています。


そしてこの本は、最後の「ヒマラヤを越えて」の章に出てくる、ユーモアを交えて話された瞑想についての問答がとても印象深いです。
紹介行きます。


■第十四章 インドへ より

<212ページ>
避難民のなかにはナンチェンから逃げてきたものもおり、そのなかに、数人の僧と八、九人の村人たちを伴ったラムジョル僧院の秘書の姿が見えた。彼はわれわれに向かってトゥルンパ・トュルクの行方を知っているかと尋ね、スルマン地方から高僧(ラマ)が一人も脱出できなかったとは何と悲しいことかと言った。そこで私がトゥルンパ・トュルク本人であることをひそかに打ち明けると、彼は驚喜した。そして彼の僧院が中国軍に破壊されたときの状況を詳しく語ってくれた。それはちょうど僧たちが集会堂で特別な礼拝を行なっている時だった。突然侵入してきた中国軍は出口を封鎖するや、いきなり数人の僧を射殺したのだ。そして武器を所持しているという理由で残りの僧を逮捕した。僧院長が進み出て、自分は常に弟子たちに非暴力を説いており、僧たちが武器を持っているはずがない、と釈明している最中に、指揮官に額を撃ち抜かれた。僧たちは典籍をすべて外に持ち出し、破棄するよう強要された。そして、仏像もすべて自らの手で打ち砕かねばならなかった。周りの村でも多くの人々が捕えられ、僧たちとともにナンチェンへ連行された。だがその途中で、軍の主力を他の地に移すようにとの命令が中国軍の司令部から届いたので、数人の監視を残し、全軍がこの地を立ち去った。おかげで秘書をはじめとして数人の囚人が脱出に成功したのである。また、連行されずに村に残された村人も全員脱出を計画しているとのことであった。

「仏像もすべて自らの手で打ち砕かねばならなかった」というところに、「宗教心へ与えるダメージ」という一貫したチベットへの攻撃姿勢は、この頃からそうだったのか、と。

<222ページ>
 ラサ郊外にあるダライラマの夏の居住地でもあるノルブリンガから逃げてきた数人の兵士がやって来て、私たちにそこで起こったことを逐一目に見えるように描いてみせた。彼らの目の前で中国軍が建物を砲撃し、仲間の兵士が殺された。ダライラマ猊下がそのときまだ建物内にいたのかどうか誰も知らなかったが、すでに脱出したらしいとの噂である。ノルブリンガとポタラ宮が砲撃されるのも目撃した。砲撃は中国軍の銃を合図に始まった。ノルブリンガとポタラ宮の攻撃の後は、それ以上の戦闘の可能性はなかった。中国軍はすでに町の大きな家を占拠して、そこから発砲していたのである。一連の出来事が何ヵ月も前に準備されていたのは明らかだった。この兵士たちはそこから脱出してきたが、多数の抵抗軍の兵士はその場所から立ち去らず、すべて虐殺されたという。

芸術作品観さで展覧会へ行きましたが、上野の森美術館で昨年開催された『聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝』は、チベットによって守られてきた至宝ではない。


ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 より

チベットに関するいかなる展覧会も歓迎すべきなのですが、残念ながら今回の展覧会は、チベットとその歴史の真の姿を伝えてはいないということをお伝えせねばなりません。

世界中でよく知られているように、1949年に中国共産党軍がチベットに侵攻して以来、平和的で信仰心厚いチベット人たちは、はなはだしい苦しみや虐待にさらされています。その結果、約120万人のチベット人が亡くなり、6千以上の僧院が破壊され、そして略奪されました。

この展覧会の展示や文書は、日本国民を欺き、中国政府がチベット文化の善意の保護者であると信じさせるよう、意図的に作られています。実は、真実は逆なのです。チベットでは、今でもチベット人の信教と文化の自由は弾圧され続けています。一昨年のチベット動乱がその証拠です。チベットが今日も封鎖されているという事実が、何よりも声高に物語っています。

胸が痛む。


■第十五章 前進する難民たち より

<234ページ>
 ある朝、カルマ・ゴトゥプが息もつけないほど興奮してやって来た。数頭の巨大な褐色の熊が夜一行の馬やラバを襲ったのだ。熊は馬を一頭殺し、他の数頭にも傷を負わせた。そして毎夜やって来るのだという。数日後、彼は私のテントのすぐそばにも熊の足跡を見つけた。人々は私に隠遁所を引き払って戻ってくるよう懇願したが、私は少しも恐怖を感じることなく、瞑想を続けた。人はカルマ(業)の法に支配されているのだから、必要以上に思いわずらうのは愚かなことである。

中国軍に殺されるも、熊に殺されるも、そのときはそのときだ、と。


■第十八章 危機一髪 より

<274ページ>
ガイドが言うには私たちはテモ僧院の近くにいる、ブラフマプトラ川の大湾曲部が遠くに見えるからだ。とすれば、しばらくこのまま山から離れないように進まねばならない。それに、もし川のくねりに沿って進んだら遠まわりになってしまう。ともかく人目につかないよう用心する必要がある。昼間は火を燃やすことができず、夜も地面に穴を掘り細心の注意を払ってそれを隠した。食糧不足がほぼ限界に達していたので、なんとか最短ルートを探さねばならないというあせりがある。だが、今いる場所は危険すぎるので少し奥まで後退した。藪や身を隠すものがないのでほとんど日没から真夜中にかけて移動しなければならなかった。ガイドが再びまごつき、私たちを峠から峠へと連れて行く。
以前から病気で重態だった老人がついに力尽きて死んでしまった。彼の息子は父親を助けるために力の限りを尽くし、険しい峠さえ彼をおぶって越えてきたのである。突然もう一人の老人が疲れ切り、これ以上歩くことができないので、村里に下りて行くことを許してほしい、われわれの居場所や一行のことは決して口外しないから、と願い出てきた。

このへんの山越えの記述は、まさにこの本の山場。


■第十九章 ヒマラヤを越えて より

<289ページ>
あんなに張り切ってたくさん運んできたアコン・トュルクの荷物は結局放棄せざるを得なかったので、私は、「控え目な私のほうが結局自分の荷物を持ってこれただろう」と彼をからかった。
私の付き人は、今こそ「内なる熱」(チベット語でトゥンモ)というヨーガを実行するときであることをほのめかしたのに対し、ヤグ・トュルクは、このヨーガにもとめられるようにヒイラギの枯れ葉の上にあぐらをかけば、カサカサとさぞうるさかろう、それに伴う呼吸法もするとなればなおさらだ、と言い返した。私は笑いをこらえることができなかった。ツェパが「しっ! みんな静かにして下さい。誰かがやって来ます」と囁いた。私が「こんどはたぶん私たちを守りにやってきた精霊だろう」と囁き返したので、その場の空気がだいぶなごんだ。
 その日は一日がひどく長く感じられた。村の近くで何度も銃声がし、私たちは、中国軍がわれわれ一行の誰かを見つけたのではないかと案じた。正午近くには少し暖かくなったが、夕方には再び凄まじい寒さになった。食糧袋を開けることもできず、水もないので、霜で口を湿すほかない。

霜で口を湿すほかないような状況で、ユーモアがあるのがすごい。

<289ページ>
私の付き人は大したもので、私の近くに寝ていたので、この機会に瞑想について語り合ったのだが、彼はこう言うのである。今まで経験した苦難は、自分にとってよい精神的な教えであったが、もう心も落ち着きをとり戻し、最悪の試練は過ぎ去ったと思う、と。私は答えて、「でも明日捕まらないという保証はないのだよ。まだ中国軍の占領地域内にいるのだし、中国兵は必死になって私たちを捜し回っているのだから」と言うと、彼は頼むからそんなことは言わないで下さい、と言う。私はさらに追いうちをかけた。「これは話にすぎないが、実際に私たちは中国軍に捕らえられるという目に遭うかもしれない。その場合でも、その経験を瞑想のための試練だと考えられるかい。」そして私はヤク・トュルクの意見を求めようと声を高めた。「何を話していらっしゃるのですか」と彼が聞き返す。「瞑想についてだよ。もし中国軍が明日にでもわれわれを捕えるようなことになったら、その時にも瞑想はわれわれの助けになると思うかい。」彼は答えた。「私は危険が過ぎ去ったことを確信しています。この山の向こうには何があると思われますか。」私はいつも通りの答えを繰り返した。「また別の山脈が待ち構えているだろう。それはわれわれが内なる熱のヨーガを実践する良い機会をまた与えてくれるのだ。今回は、きっと正しい心構えがとれることだろうからね。」それを聞いて皆はどっと笑った。

この最後のユーモアもすごい。なるようにしかならない。「中国軍が明日にでもわれわれを捕えるようなことになったら、その時にも瞑想はわれわれの助けになると思うかい。」という問いにぐっと引き込まれました。


経験って、なんだろう。修行って、なんだろう。生きることって、生かされることって、なんだろう。
そして、その後の著者さんの生涯を追ってみて、「今の世を生きるって、どいういうことだろう」と。前半の47ページの紹介で引用した「究極的真理と相対的世俗的真理の両者を知るべきである」という教えを再読しながら、いろいろなことを考えさせられる一冊でした。

⇒同著者さんの本「タントラへの道 ― 精神の物質主義を断ち切って

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チョギャム・トゥルンパ
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