うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝 ゲンドゥン・リンチェン(編集)今枝由郎(翻訳)

1455年~1529年にチベットブータンで活躍したドゥクパ・クンレーという僧侶の遊行・遍歴のお話です。ニョンパ(smnyon pa)と称され、それはチベットブータンの仏教においては、「普通の宗教者のレベルを超えた、凡人の常識では計り知れない境地に達した聖人を指す」と訳者の解説にありました。
序盤でドゥクパ・クンレーが自分の母親に性行為を迫るエピソードが出てきます。嫁を娶らないことでプレッシャーをかけてくる母親に性行為を迫り、なんと最終的にうんと言わせます。うんと言わせるまでの流れの中に、ドゥクパ・クンレーの考え方が凝縮されている。この本を最後まで読むと奥深さがわかります。
このように、偉そうなことを言いながらちゃっかり条件付けをしている母親をユニークに斬っていくところから物語が始まる。


説法や詩の中にはミラレパやマルパといった人物の名前も登場し、ブッダの伝説も現在一般に伝わっているものとは別のエピソードが語られています*1。末尾の解説でドゥクパ・クンレーの考え方は日本の僧侶では一休宗純と共通性があると書かれており、わたしも読みながらそう思いましたが、旅の途中のエピソードは空海さんのようでもありました。

ラマは、ここには予言がないとお考えになり、去って行かれると、山の頂の氷河に至るまで、一頭のヤギが食べる草も生えておらず、山の谷底に至るまで、一匹の鳥が飲む水もなかった。また山の斜面には、お茶を沸かす〔薪となる〕木も生えていなかった。
「ないものづくし三つのこの土地は、堂守りのお前が一人で住むがいい」とおっしゃって、去ろうとなさったとき
「〔お堂の〕仏様に捧げる水もないのでは、あんまりだ」
とお思いになり、大地に指を突き刺して小さな清水が湧き出るようにされた。
(5章 11 ゴンツェガンの荒れ地 より)

杖を突いたら温泉がわいた、ではなく、指を突き刺したら清水が湧いた。ゆるやかなエピソード。


いっぽうで、悪魔を封じるときには意味不明の強烈な技を出しています。

魔女は追いかけられて、シルチというところにある大きな岩の中に消えた。ドゥクパ・クンレーは
「未来永劫、ここから出るな」
とおっしゃって、鼻血で封印された。
(3章 11 ルンダム・ゴンマの魔女とシタル・ドゥギェー爺や より)

鼻血で封印って、どういうことでしょう。ブータンでは鼻血になにか特別な意味があるのでしょうか。


ほかにも、成仏する死にかたを「虹の体を成就した」と言ったり、独特の表現が出てきます。
最大の特徴は、ドゥクパ・クンレーが床上手至上主義であるところです。さまざまな説法の中で性交渉の技術の重要性が説かれます。それがいちいちユニークで、ラジオ版・笑福亭鶴光さんのよう。村人たちも笑いながらこの僧に惹かれていく。
この本は冒頭でブータン王国太后(第四代国王王妃)から日本語訳が出ることへの祝意が述べられています。ブータンで偉大な仏教僧として崇敬されている人物伝がこのような内容であるということに、いい意味で驚きました。(珍スポットがいっぱいありそう!)

 

*1:毒キノコではなく足に棘が刺さって亡くなったことになっている