うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

YOGAYOMU 18号 ヨガのフリーペーパー

YOGAYOMU 18号 ヨガのフリーペーパー
本ではないのですが、久しぶりのYOGAYOMU。自由が丘のルルレモンが閉店してから、ずっと読んでいなかった。
ここ1年で、ヨガ教室の種類はずいぶん多様化しましたね。うちこの通う道場はほとんど広告を出さないのですが、同様にあまりプロモーションをしていない学校やスポーツクラブのヨガクラスを含めると、けっこう増えたのではないでしょうか。
逆に、一時の大ブーム終焉で閉じた学校もあるのでしょうけれども、リストを見ていると、ヨガ教室の「スタイル」がずいぶん多様化しているように感じます。

うちこも、今の道場に通うようになって、今月でまる4年たちました。今年の道場ヨガ納めは10時のクラス。かなり脱力して、心地よい疲労感に包まれています。

お話をタイトルの本題に戻しますね。
今回のYOGAYOMUは、インタビューがよかったです。一部ご紹介します。

<Gabriella Giubilaro(ガブリエラ・ジュビラロ)先生のインタビューから>
Q:ワークショップで「身体の知性(Intelligence of Body)」と繰り返していましたが、肉体自身が知性を持っているということですか? それはどのように開発すればよいのでしょうか。
A:アイアンガー先生は、頭に知性があると同時に身体にも知性があると言っています。私達が教えているヨガの練習そのものが、どのように身体の知性を発掘するかということです。身体の知性の開発は、身体の様々な場所へ意識を向けることから始まります。意識は身体の中から末端にまで伸びてゆきます。最初は腕がどうなっているか、脚がどうなっているかさえ意識することはできませんが、徐々に知性を身体のあらゆる場所へ同時に広げてゆくことを学んでゆくのです。


Q:一度にあらゆる場所を意識するのは難しそうですね。
A:それは練習によって可能になります。もちろん先生が生徒の感受性を高める指導をすることも必要です。皮膚の感受性から始まり、身体のあらゆる場所への感受性を高め、それを生徒が常に思い出せるように指導します。さらに先生は生徒の身体の知性が成熟しているかどうかを確かめます。生徒を見るとそれは明らかに分かります。身体が柔らかい硬いという問題ではありません。時々、柔軟性があり難しいポーズをとれる人が身体の知性があると思われがちですが、それはまったく関係がありません。身体の知性とは身体のあらゆる場所へ意識を向ける能力、身体のあらゆる場所を感じ取る能力のことです。さらには感覚をあらゆる場所へ広げる能力のことです。なぜなら、知性とはエネルギーのフローだからです。

太字のところが、特に日々思うところです。たとえば、「半月のポーズ」。身体の中の流れを強く意識するようにしたら、そんなには曲がらなくなりました。腰だけでやれば、もっとグニャリといけるのですが、そうしなくなりました。こうゆう発見が、やめられないツボ。

最後の「なぜなら、知性とはエネルギーのフローだからです。」というのも、仕事上の協力関係で思うところが多いです。それぞれのパートの人が、自分のパートとその働きの連鎖を意識できているときは、うまくいく。
それぞれのパート自体を認識するのに3ヶ月かかるな、という低レベルなプロジェクトには途中でも見切りをつけて捨て、明らかにパートが意識できているプロジェクトに時間をあてるようになりました。売り上げもそのほうが上がる。ただ、後者の人件費のリスクは質的に代謝が悪いので、なにかで回転させておいたほうがいいかな、といったバランスも多少気にはします。
後者に痛い管理職の人がいる場合には、自分で抜けていける優秀な部下を配置する、なんてもの代謝バランスだなぁと思います。


エネルギーの流れというのは刻一刻かわるし、仕事の場面では「業務の遂行に関係のない"ただの野心"」のノイズを避ける技術がスピードの要だなぁ、なんてことをそういえば最近意識したんだっけ。
ヨガについて語るときの言葉のほうが、うまく伝えられないことの表現にインスピレーションを与えてくれます。