うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

運命を拓く―天風瞑想録 中村天風

中村天風さんの本は、これで4冊目。図書館で借りました。
過去に読んだのは、「ヨーガに生きる―中村天風とカリアッパ師の歩み」「ほんとうの心の力」「中村天風 絶対積極で生き抜く言葉」の3冊。
なんとなく図書館のサイトで検索して本を予約するときに、「この人のがあれば、読もう」と思うヨギさんの一人です。他には適当に「スワミ」「ヴァナンダ」などの言葉で検索することも。だいたいヨギさんがヒットします。
この本には中村天風さんのお写真が1枚掲載されていて、大沢親分のようないでたち(笑)。

さて、相変わらず圧倒的な明るさで、豪快であります。カリアッパ師に出会う前の、びっくりするようなエピソードもありました。いくつか紹介します。

<12ページ 天風小伝 ── まえがきに代えて より>
パリの邸に、三郎はサラ・ベルナールを訪ねた。相当な年齢だと聞いていたが、サラ・ベルナールは二十七か八にしか見えなかった。
「お若いですな」と三郎がいうと、「女優に年齢はありません」と、サラ・ベルナールはにっこり、ほほえんだ。
三郎は、この人の美しさと、粋な喋り方に魅せられてしまった。
三郎は、サラの邸にしばらく厄介になることになった。サラの邸には、オペラ女優が花のように集い、笑いさざめいていた。
それまで笑いを、さげずんでいた三郎だが彼女達の笑いを、こよなく美しいものとおもった。それから「笑いのある人生」を願う三郎になった。

サラ・ベルナールが出てくるとは。びっくり。そして、「笑いのある人生」へのきっかけになっていたことにも驚き。

<136ページ 第五章 大いなる悟り より>
「美」とは「調和」のことである。
ところで、あなた方にも愛情はあるのだけれども、あなた方の愛情は偏った愛情である。すなわち自分の気に入ったものだけ可愛がって、気に入らないものは可愛がりやしない。そういうのは本当の愛情ではない。太陽の光線のように、あれこれと選ばないで普遍的な気持ちで愛さねば駄目である。
太陽の光線は、美人の顔も照らせば、犬の糞も照らしている。「おれは犬の糞はいやだから美人の顔だけ照らす」とはいわない。

このへんのたとえも、好きなんです。「太陽の光が、美人しか照らさない! っていったらどうなるのさ」といわれたら、なにもいえないのだけど、楽しく明るくねじ伏せられる感じがたまりません。

<220ページ 第八章 人生の羅針盤 より>
女の人なんかは、しょっちゅう新年の煥発ができるようなコンパクトという道具を持っているじゃないか。化粧というのは化け粧うんだから、蔭で化け粧えばいいのに、人の前であろうと、電車の中であろうとはばからず、コンパクトというゲテものを出して、高くもない鼻を懸命にヒッ叩いて、顔に白粉塗っている人がいる。これも、あながち悪いとはいわないが、同時に、心にもお化粧したらどうだ。

昔から、いたのですね。こうゆう女子。「あながち悪いとはいわないが」というところに、「あら?」と気持ちをもてあそばれてみたり。

<272ページ 第十章 恐怖への戒め より>
平素人と交際する時にも心掛けて、神経過敏でない勢いの良い人と交際することである。どうも、神経過敏の人は、時とすると、この恐怖の嵐に、随分誤った同情をする。
「これを恐れずにいられるか」というふうに。そして、これを大して悪いことと思わぬ傾向がある。むしろこれが当然だと思っている。しかしこれは大変な間違いである。間違いは訂正しないと、すべてが良い方向へ好転しなくなる。
だから、ちょっと何か恐怖的に物を考えるような観念が出たら、クンバハカが一番、積極的言葉で、そんなものは吹き消してしまいなさい!

「息、止めちゃえ!」っつーんだからもう、つっこみようがない(笑)。思いを呑み込んで、吹き消す。シンプルだけど、すぐできる。はず。


日本人にもいろんなカリスマがいますが、うちこにとっては天風さん、沖さん、野口さん、猪木さんが四天王。みなさん、身体と心をひとつにしたうえでの豪快さを持っています。上品なスピリチュアルよりも、こうゆうのがグッときてしまいます。
元気が出るんだよなぁ。

★おまけ:中村天風さんの「本棚リンク集」を作りました。いまのあなたにグッとくる一冊を見つけてください。