うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

失敗して助けられてありがたく思って日常の光を見た24時間のこと

必要なものを間違えて捨ててしまったり、食器を落として割ってしまったり、上書きしてはいけないファイルを上書きしてしまったり、日常でやらかすと凹みます。そして忘れた頃にまたやります。やりました。やりましたわ~。



先日、電車の中に荷物を置き忘れたまま降車してしまいました。複数あるバッグのうちのひとつを置いたまま降り、改札を通って地上に出てから気がつきました。

地上へ出る前にコンコースにあるATMに寄ったため、何時何分にそこを通過した電車なのか、何号車だったのか、頭を冷静にして逆算しようとしてもうまく確定できません。

駅員さんから問い合わせ先のリストをもらって帰ってきました。

その日はもう忘れ物の問い合わせ電話窓口が閉まっている時間でした。



日持ちするものだけど食べ物が入っていたので、破棄対象にならないように翌日の午前中にリストにあった3社に問い合わせをしました。

乗り入れで接続している電車が2つある地下鉄だったので、私鉄の会社も含めて3社に問い合わせをしました。私鉄の会社は電話で、東京メトロはウェブサイトのフォームから。

窓口はとても親切で、その手順から推測する個人情報への配慮など、いろいろ思うことがありました。



「書類は含まれていないか」と訊かれたときに、それをやってしまったときのことを瞬時に想像し、職場で提出する始末書作成のプロセスまでが漠然と浮かびました。

「そうだよね。そこ訊くよね。それで優先順位が変わるよね」と思い、「はい、ありません。大丈夫です」などと先回りをした回答をしそうになったりして。

こういう前のめりな思考をするとき、わたしは太陽礼拝Bを繰り返す際に戻ってすぐ次の前屈に入ろうとする、シークエンスが音飛びのように繋がってしまうあの感じを思い出します。




電話での問い合わせ先では見つかりませんでした。残るは東京メトロからの返信です。

午前にフォームから入力・送信をしたら17時ごろに「○○駅でそれらしいものが見つかりました」とのメール返信があり、仕事のあとに取りに行きました。

19時が締切だったので、少しあせりながら、なんとか間に合いました。



窓口で荷物を受け取る書類に書き込みをしていたら、5人グループが窓口にワラワラと入ってきました。英語でベラベラベラーっと何かを訊いてきました。

駅員さんが、英語でベラベラベラーっと返答をしていまた。

それまで「ありがたいなぁ。治安がいいなぁ」と思っていたところにさらにアクティブな状況を見て、そんなことが耳元で起きて、その雰囲気のなかにいたら元気が戻ってきました。




感謝を含んだ形で心が回復していくときに自分の感情をドラマタイズせずに見られるようになったのは、わりと最近のことのように思います。

秩序に対する感謝の気持ちは向け先がわからないから、なにか大きな対象語をそこに当て込みたくなるのだけど、これは秩序に対する感謝の気持ちです。

「日本の治安すごい」でも「東京メトロすごい」でも「わたしラッキー」でもない感情。




感謝の気持ちの向け先にわかりやすい対象を急いで探そうとしないことって、実はなにげに重要なことのような気がしています。たぶんこれが普遍的な幸福感との接点だから。

わたしの場合、on the mat off the mat が意識の面で繋がっていくのは日常のこういう瞬間です。