外国を旅すると、この状況を地元の人はどう捉えているのだろうというものを目にします。
視覚だけでの印象でいえば牧歌的ともいえる道の、昭和終盤の商店のような佇まいのマッサージ店に「NO SEX」と手書きで書かれた貼り紙が残っていました。
わたしは東京にいると新橋駅を乗り換えに使うので、ときどき駅周辺を歩きます。
新橋にはマッサージのお店がたくさんあって、「女性もどうぞ」と書いてある店もあります。そもそもマッサージを受けたくて来た人にも、そう書いておかないと女性は顧客ターゲット外と推測するから。わたしもどちらかというと、その感覚を持つ世代です。
この本は1990年に出版され、調査の内容はさらに前なので、40年近く前の内容です。
40年ほど前といったら、日本では多くの男性が仕事を持ち家庭を持ち家を持ち車を持ち、それ以上のものまで買うことができた時代です。
タイの事情はどうであったか。
旅行へ出かける前に「地政学」の入門の本を読んでいました。そして三度目のタイは、北部への旅。前回の旅では東から北へ移動してラオスへ入りました。東北部からベトナムへ近づいていく形です。
ベトナムは北から南へ陸路で下りる旅をしたことがあり、北から西へ移動する旅もしたことがあったので、ここ数年の旅でベトナム・ラオス・タイの位置関係がやっとわかってきました。
この本を読んだ理由はいくつかありますが、最も大きかったのは、第二都市であるチェンマイとバンコクの差を大きく感じたためです。この本には、北部からバンコクへ出稼ぎに来る人の背景が書かれています。
時代は40年前のことが書かれているけれど、土地の位置関係と事情は大きく変わらないもの。外側の社会環境は変わっても、地理と土壌が生み出す文化がある。
タイの北部はベトナムに近く、ベトナム戦争で作られた性産業のインフラの影響を、南部のバンコクよりも強く受けています。
この本では、農業の閑散期サイクルが長い土壌の影響に言及されています。
やることのない若い人のエネルギーを還元する先として、性産業はあまりにも効率が良すぎて、一度知ってしまったら他の仕事に戻れなくなる。本人だけでなく、家族が。
この「家族が」というところに「おしん」と通底するものがあるのだけど、「おしん」はフィクションです。心がフィクションじゃないから世界中で響いてしまうのだけど、あれはあくまでフィクション。
おしんは「心」がフィクションじゃないから響く
わたしが「おしん」はあくまでフィクションと言ったのは、身体面のことです。
おしんは女の子です。実際には、教育を与えなくても「稼げる」ということを「生産性」とする世界があります。
こういう貧しい家族のなかで、女たちはたんなる扶養者なのではない。彼女たちは自分のことをカネを稼ぐ構成員と考え、また家のものもそうとらえている。女たちが身体を売る商売に追いこまれるのは、依存した位置にいるせいではないのだ。むしろ、女たちがもっている責任感のせいなのである。彼女らが収入を得てまず最初にすることは、両親への送金なのだ。
(3.農村社会 より)
伝統的な家族形態では、末の娘が年とった両親の面倒をみ、結婚によって新たな労働力が家族にもたらされることになっており、このせいで女の子の誕生も男の子とおなじように幸いなこととみられている。しかし、女の子の重要性は増してきている。娘ならかんたんにカネを稼ぐことができ、質の悪い土地での農業収入から生じる問題をなんとかしてくれるのである。息子をもつのはいいかもしれないが、と村人たちはいう、娘のほうが生産的だ、と。
(3.農村社会 より)
ここにある「娘ならかんたんにカネを稼ぐことができる」というのは親側からの視点で、教育を与えなくても稼げる、という意味です。性サービスを提供することは、当人には簡単ではありません。
「収入を得てまず最初にすることは、両親への送金」と同じようなことは、多くの人がプレゼントなどの形で想起することだと思います。ここが、性別に関係なく「おしん」が響くところでもある。
わたしの周辺では、子供の頃に同世代の子役が演じる「おしん」にモヤモヤしていたことをやっと言語化できるようになった人が増えています。
あなたの周りではどうですか?
訳者あとがきで補足される「仏教」「一夫多妻」の伝統の影響
この本は、タイの学者の調査とレポートを翻訳されたものを読むだけではわからないところを、訳者が丁寧に補足してくださっています。
本編でも語られていたことが、最後にあらためて整理されているのがありがたい。
土地の関係性やベトナム戦争でできあがったインフラによる近代の背景だけでなく、別の伝統の影響もあるというところが説明されています。
出家した比丘たちでつくる修行集団はサンガと呼ばれる。比丘たちはワットと呼ばれる僧院に居住して、二百二十七条の厳しい戒律を守った生活を送る。タイの上座部仏教では、男性は一生に一度は僧院生活をするものとされていたが、現在ではこの慣習もかなり薄れてきているようである。
またタイではほかの上座部仏教の国とは異なって、出家しても還俗するのになんら問題はない。還俗しても僧としての経験が価値をもちこそすれ、マイナスの行為とみられることはないのである。
(中略)
サンガへの加入者というのはすべて男性であって、女性は優婆夷(ウパーシカ、メーチィー)として頭を剃り、男性僧のサフラン色の僧服にたいして白い僧服をまとってワットで生活をするが、女性のサンガのないタイではこれらの女性たちは戒律を守る、信仰のある女性であるというにすぎない。
(訳者あとがき 4.宗教的背景と女性 より)
タイでは息子が僧侶になるとその母親の価値も上がる、みたいなことも書かれていました。
タイが一夫一婦制になってからまだ100年経っていないって、知りませんでした。
一九三五年には外国の圧力で単婚法が設けられた。この三年前に立憲革命が起こり、タイは立憲王政へと転換をとげたが、しかし伝統的な価値観の変化まではいたらなかったのである。単婚法は新しい結婚のあり方を示し、結婚には法的手続きが必要となった。しかし法の実行に強制力はなく、夫は母親が誰であれ自分の子として認知することができるなど不平等なものであった。
(訳者あとがき 5.在家の女性たち より)
もともと複婚はエリートや富裕階級のステイタスで、そこから単婚に移行するときの流れが説明されていました。
本編のほうでタイでのミスコンの意義が説明されていて、それだけではちょっと説明が足りないと感じていたのですが、このあとがきを読んだらいろいろなことが見えてきました。
タイで地域の格差や過去の産物の名残りを見て、いろいろなことを思ってこの本を読んだのですが、あらためて考えると日本もそんなに変わらないところがあります。
よくよく考えたら、ちょっと懐かしみを感じる小説『しろばんば』のおばあさんは妾でした。
婚姻制度の変化が社会の変化を表しているというのは、本当にそうだなと近年強く思うところだったのですが、地理・歴史との関わりを見ていくと、タイはとても複雑です。