うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

中間の豊かさを楽しむ

他人の本の感想文を読むのが好きです。
新しい視点に出会えることかあるので、本の感想をよく読みます。
いろいろ読んでいると、プロの書評のほかに、読書日記のように感想を書く人、自分の経験や知識を語るのに本を利用する人、嫌いな人が世間から注目されていることが気に食わなくてまるで不買運動のようにAmazonにレビューを書く人、作家を応援する人、いろんな人がいることがわかります。

 

わたしはどのパターンでも、発信者の人間的魅力も併せて探りながら読みます。善良さのアピールにセンスがある文章を見つけると、この人は営業トークがうまそうだな…というふうに見ますし、知識をチラッと絶妙に匂わせるものも嫌いではありません。絶妙でないものは読み流されることが確実な状態で、匿名なんだから別にいいさ自慢して気持ちよくなっちゃえー! と排泄的にならずに書く人を見ると、そこでグリップを効かせるこだわりが素敵☆と感じます。


いずれにしても興味がわくのは、その人の身体を使った経験が透けて見えるもの。安全な立場で観察して得ただけの知識ではない、この人はなにかリアルな対人関係で複雑な感情に向き合った経験をしているな…というのがいい。
おもしろいのはほんの少しで、ほとんどは印象に残らない。
それでも読みたい気持ちって、なんなのでしょう。まるで宝探しをしているようで、自分でも不思議です。

 

さて。
先日、わたしのブログを読んでヨガクラスにおいでくださった人(仮にFさんとします)と久しぶりにお会いして話をする機会がありました。
その時にFさんが「わたしはなんでも、"読む" のが好きなんです」とおっしゃっていて、その感覚に興味がわきました。「ヤフーのコメント欄みたいなものでも読みますか?」と訊いたら、「はい」とおっしゃる。
わたしはああいう、転載で量産された土俵(ニュース記事のようなもの)に便乗して意見を垂れ流す人のコメント文章は読まないようにしているので、"読む" という行為そのものが好きという優先順位が新鮮でした。
発言の性質の選別をせずに居られるって、フィルタを自分のなかに搭載できているということだから。実際のところ、面白みって "中間" にあるものが多いですもんね。

 


先日感想を書いたエンリケ・バリオスさんの著作物もそうですが、スピリチュアルな事柄について書かれた本を読むと、ときどき選民思想的な考えが引っかかる。わたしはそれがしばらく気になっていたので、Fさんのように対象を絞らずに「読むことが好き」という、そういう自覚的なスタンスがいいなと思いました。

「読むことが好き」という口ぶりは、「世界を見ることが好き」というふうに聞こえて、とてもポジティブに響きました。

そしてわたしが他人の本の感想を読むのが好きなのは、同じ経験をした人の言葉を読むことが好きなのだということにも気がつきました。

 


他人との言葉の接触には段階的にいろんなパターンがあるけれど、根っこから絶たなくていい方法を模索するのって、気持ち的に豊かといえば豊かです。(物理的に無駄といえば無駄ですが)

それにね、そもそもですよ。こういうFさんのような人がいてくれないと、わたしは見つけてもらえない。呼ばれてもいないのに出ていくような自己アピールが苦手な人間にとって、「読むことが好き」という人の存在はたいへんありがたいのです。

 


昨年からウイルスが蔓延して、それぞれの人が他者との接触フィルタについて考える、新しい世界のルールが定着し始めているけれど、その考えは言葉の接触の世界とも重なる。
自分のなかにフィルタを持つって、免疫力を保つという考え方と似ていて、すごく主体的で平和的。透明シールド内蔵という仕様が、なんだかかっこいい。
新年早々、いい話を聞いちゃった。会いに行ってよかった。