昭和23年・24年に書かれた複数の短編が集まった本を読みました。
『晩菊』だけはこれまで三度ほど繰り返し青空文庫で読んでいました。
著者は昭和24年に長編『浮雲』を発表した二ヶ月後に47歳で亡くなっていて、この本にはその直前に書かれた短編が収められています。
どれも展開が容赦なく、読み終わるたびに「おもろーーー!」とやんちゃ盛りの少年のような勢いで感想の言葉が脳内にあふれ出ました。
自分でホルモン注射を打ちヒロポンの粒を飲む、そんな気合の入れ方で元カレに会う時間を乗り切ったほんの数時間が描かれた『晩菊』は、やはり何度読んでも元気が出ます。
おきん、万歳!!! おきん、ブラボー!!!
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この文庫は、巻末の中沢けいさんの解説が最高でした。
“林芙美子は社交のない男を描くことも得意のひとつとしていたのだけど、そこはあまり指摘されていない”、と書かれていました。
わたしがこの感じで思い出すのは、10年前くらいにNHKでやっていた「となりのシムラ」というコントです。
たまたまですが、この短編集にある『松葉牡丹』に登場する60代の男性は志村という名前で、この志村が空襲の炎から逃れる道中で知り合った若い女性に名前を尋ねる場面からのテンポが最高です。
「君は何と云う名前?」
「私ですか、笹川てる子さんよ」
「笹川てる子さん、か、いゝ名前だね。──すっかり船遊びさせて貰ったような気がして、昨夜は、心臓がとまりそうに怖ろしかったンだが、朝になったら、急に元気が出て来ました。これで、一杯の熱い緑茶があったら申し分なしだ……」
笹川さんは24歳のハツラツとした女性。
このまま話していると志村さんが馴れ馴れしくニックネームや略称で呼んでくることを予測した上でのレスポンスが爆笑を誘います。
その後の会話で、笹川さんが志村さんの名前を形式上尋ねたあとに、こんな展開になります。
てる子は、リュックから手紙の袋を出して、一握りの煎豆を出した。
「入歯、大丈夫だったら召し上れ」
志村は、てる子にからかわれているようで厭だった。嫉妬に似た気持ちで、志村はてる子の薄いジャケツの胸のふくらみを眺めている。緑の水の反射が、血色のいゝてる子の顔に淡い光を投げていた。白だと思ったジャケツは薄いピンクだった。
てる子は豆をかりかりと健康な歯で噛みくだきながら、志村の洋袴の裾をつまんで云った。
「遠くへ逃げて行くには不便よ。ゲートルも巻かないなンて……ソフトなんかかぶってるでしょう。私、もっと若い人だと思ってたわ……」
笹川さんが容赦ない(笑)。そもそもこの会話が始まる以前に志村さんが笹川さんに年齢を聞いてきたときは「貴女は、いくつ?」と言っていて、それがいつの間にか「君」になっている。笹川さんは当たり前にそういう変化を読み取っていて、距離をこまめに離しています。
完全にこれはコント。
──なんだけど、この物語は最終的にこの時点では想像できなかったような展開を見せます。
ハ、ハヤシ先生・・・、もうそのくらいにしておきましょう! とわたしのなかの妄想編集者が声をかけるくらい、クライマックスが容赦ない展開です。(ぜひ読んでほしいわ〜)
そのほかの感想は、全部書いたら長くなっちゃうので少しにします。
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『骨』は、小津映画の『風の中の牝雞』と途中まで話が似ていて、脳内で動く主人公の姿は、わたしのなかで田中絹代さんでした。
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『牛肉』は、佐々木という人の思考の凡庸さに既視感がいっぱいで、ハヤシ先生はほんとうにこういう要約がうまいな〜、と思いながら読みました。
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『水仙』『白鷺』についてはこちらに書きました。