おもしろかったー! ひとり相撲とはこーゆーことよ! 元大酒飲みから飲まない人へ生まれ変わる、その意識のグラデーションを微細に実況してくれる稀有な本を読みました。
わりとあとのほうになってから「えええ、そんなにたくさん毎日30年も飲んでたの?」ということを知ることになるのだけど、始まりは淡々としており、お酒への愛着が抜けてない状態を思い出して書いているためか(著者はこの状態を「酒徒」と書く)、つまらない。つまらない人間になろうとしている経過のリアリズムなので、このつまらなさが後になってどんどん効いてくる。
なによりこの本は中盤がいい。すごくいい! もはや断酒ログではなくなっていく。いろんなものに置き換えて読める。たとえば免許を返納しようと考え始めた70歳とか、はじめはこんな感じなんじゃないか。
わたしはそれ以上に身近な例が思い浮かんでしまって、読みながら「もうこれ完全にヴィーガンの人がずっとぶつぶつ言ってるであろうアレじゃん」となりました。その葛藤を肯定するために他者を否定することは浅ましいと自認した上でずっと脳内で同じ話をしている、何周も走る、その不機嫌は自分ひとりでは止められんのかいと心配になるアレ。このループはもう飽きていると思いながら「あーやっぱりヨガやってる人ってそうなんですねー」とか言われちゃって湧き上がる自尊感情を言語化した瞬間それが他者への攻撃性をはらむから飲み込む沼。沼の水、飲むの?!だから黙ってやっときゃいいのにーという、あの沼。と、書いているわたしは著者の文体が移る沼。
思い起こせば6月の夜。毎週世界中のヨーギーとヨーギニーがインド人講師の元へオンラインで集まって交わしたあのディスカッション。何度も何度も題材にあがるヴィーガンというワード。あれはヨーガの哲学の授業。この本「しらふで生きる」のなかで広がる中盤の景色は笑えるくらいあれとそっくりで、声を出して笑いそうなくらいニヤニヤした。終盤では一回、思わず声を出して笑ってしまった。「ぎゃん」て書いてあるところで鼻からコーヒーが出そうになった。ヤメテ。鼻孔が火傷する。
危険です。わたしの沼もここらへんで抜けることにいたしましょう。
さて。
この本はたいへん哲学的です。○○とはなにか、を繰り返します。その間に「自分の身近にいる人はいい人と思いたい病」を乗り越えたり、さまざまな振り返りをするのだけど、酒飲みの思考をたった三行で語る以下の部分で、完全に心のプログラムを読まれてる! どんな占いよりもドキドキしました。
自分は幸福である権利を有している。ところが今朝方から夕方にかけて不当にこれを奪われた。ひどい目に遭った。そこで自分は夕方以降、そもそも有していた幸福を感じる権利を行使することができるはずである。
(人間は「自分」のことをまともに判断できない より)
こんなふうに飲む心理を分解する。このあたりから、サマーディに入りはじめてる! かのような人になる。どんどんおもしろくなります。
終盤に差し掛かる頃には・・・
このたまらない解放感は、ほんの些細なこと、川のせせらぎを聞いて、背中に温もりを感じて、風に揺れる草花を見て感じる愉悦とイーコールであり、これはなんの負債も伴わない、神からの贈り物、人生の予めの純利益である。
しかし巨額な債務を、痺れるような、というか実際に痺れる、強烈な酔いを知ってしまった私たちはもはやこれを感知することはできない。
けれども酒を飲まない子供の頃は日々、そうしたよろこびを感知していたことを私たちは記憶している。
自分を普通以下のアホと見なし、そしてその結果、自己認識改造を果たすことによって酒をやめることができるが、それにいたる過程で私たちが得る最大のメリットは、実はこの、些細なことによろこびを感じる感覚を取り戻すことができる、という点にあるのである。
(酒をやめると人生の真のよろこびに気づく より)
これを、というかあれを「人生の予めの純利益」と書く文才がラーマ・クリシュナを軽く越えている感じがして驚くばかりです。ジーヴァがムクティしたかのような境地はこんな感じかと想像させる濃密な描写。
「ほろよい」という3%のカクテルサワー350mlを19時に飲むのを楽しみにしている、中途半端なわたしにはわからない境地です。
それにしても。
このログはほんとうに中間のブレ方がすばらしくリアルで、イライラします。読みながら、この人飲む側の立場で書いてるの?飲まない側の立場で書いてるの?と迷子になる度合いと書き手の信仰の度合いが重なっているのがすごくいい。こういう状況の人って、ほんとうに見ていてイライラするし、友だちになりたくない。そういう、いやな波動を出す状態にある人の思考が手に取るようにわかるのがいい。
── と書いているわたしも、毎晩終電あるいは終電を超えてタクシーで帰るなんてことをしていた頃から見ると、死にかけるほどの病気でもしたのかというくらい飲まなくなって、いまは週に何度か「3%のジュースのようなもの」でじゅうぶんだけど、なんか飲んでるなぁ。まだ自分には以下の感情がある。
そこで自分は夕方以降、そもそも有していた幸福を感じる権利を行使することができるはずである。
「がんばった自分」「ご褒美」ってなんだよって話なのだけど、そんな話ができる自分のキャラクターも残しておきたいという気持ちがある。社会の一員でいる気分みたいなものなんじゃないかと思っているのだけど、これは一体なんだろう…。たぶんせこい帰属意識だと思うのだけど、言語化しようとすると飲みたくなる(←まさにこの逃避!)。
いつか完全に数年止めたら自分のずるいところがどんどん見えてくるかと思うと、こわくてしょうがない。

- 作者:町田 康
- 発売日: 2019/11/07
- メディア: 単行本