うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

何様  朝井リョウ 著

ヨガのワークショップやイベントのようなクラスに参加した時に「それでは二人組を作ってください」と突然言われたことがこれまでに3回くらいあった。アジャストメントの技術練習をするような場でもペアヨガでもアクロヨガでもないのに、なんだこれは疲れるタイプのやつか、と一瞬思ってこなした。
べつに学生でなくても、なんならヨガ講師であっても、そんなもんじゃないだろうか。個人というのはそういうもの。


もちろんその場で対応する。必要であればそれとなく相手をリードする。もちろんスマイルで。そういう場面でさっとサービス精神を出し惜しみしないことが重要なことはわかっている。それでも「仕事と同じ」モードに協調性スイッチを入れることをヨガの場面で不意打ちされるとシラケてしまうのは、それだけわたしが個人的なものとしてヨガの練習の時間を楽しみにしていたから。期待を裏切られた感じがしたから。
個人としてよく知らない他の人たちと一緒に練習をしたいという気持ちを、「二人組を作ってください」は絶妙に壊す。


この中に収められている小説の『それでは二人組を作ってください』は、先に書いたようなことが毎日のイベントであるかのように感じられている大学生の日常で、『何者』という小説に出てくる同棲カップルが同棲を始めるまでの話だった。女性側の視点で書かれていた。
『何者』を読みながら、この二人は自分を痛くて残念な人と思わなくてすむ互換性のようなもので結びついているのだろうなと思っていたのだけど、これを読んだら宮本隆良側からの視点も読んでみたくなった。

この子は今はセンスがないけれどもおしゃれになりたがっている、その努力は買うべきだろう。とでも思っているのだろうか。「ワシが育てた・開発した」と悦に入りたいマインドにつけ込まれていることをどこまで認識しているだろうか。

おそるべし何者ワールド。


『むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった』はこれ単体でも読み応えがあるのに、『何者』のなかの一人の親御さんの話でさらに驚いた。途中でその子供の役割が思い浮かんだけれども、いっきに親側の世界に連れていかれた。当たり前だが、むしゃくしゃするのは若者だけではない。普段は当たり前にアンガー・マネジメントをしているだけだ。


そのほかの四編も最後に「そうきたか!」と、ジーンとする話で、しかもそのジーンが薄っぺらい怒り由来ではないところがすごくいい。自分のずるさや幼稚さを認めようとしている人間の怒りには光がある。その光の書き分けかたがすばらしくて驚いた。

ちょっとした身体的な心の取り回しの描写が、ものすごくいい。こんなふうに。

 私は、判子を持って立ち上がる。ほんの少しの距離だが、歩いているうち、先程まで感じていた苛立ちが薄らいでいくのを感じた。怒りとは、重みがあるものだと、いつも思う。じっと動かないでいると、体の底のほうに沈殿して、凝固してしまう。歩いたり動いたりすると、そこに溜まっていた怒りが足先や指先に行き渡ることで、希薄になるのだ。

(「逆算」より) 

この主人公は、「もしかしたら相手に伝わっているかもしれないというくらいのかすかな抵抗でしか存在感を示すことができない自分の幼稚さ」と、それを続けていたら「より苛立つようになった」ことに気がついている社会人四年目。

怒りを示したいのではなく、怒りの存在だけをちゃっかり示したい。そういう行動を選択する習性が自分を騙し、だから自分の人生は友人のあの子のように冴えない。という追い込みプロセスに入る序盤の心理描写を、日常的に身体から学んでいるはずなのにという調子で書かれるとヨギーはイチコロよ。

 

こういう熟しかたを書く20代の小説家が当時から(今も)人気作家であるというのは、いまの20代30代には鋭い内省力を持った人が多いということで、しかもそれを言語だけではない複雑な方法で共有しているのよね……。
軽くトラウマになりそうなほど引き込まれて、ひとつひとつが全部よかった。